サイコパスというと、「反社会的精神病質」とされ、猟奇的殺人犯、無差別殺人犯などがイメージされることが多いのだが、近年は、かなり広義に扱われるようになってきているようだ。
すなわち、サイコパス=犯罪者という括りではなくなってきている。
「共感性の欠如」「社会性の欠如」「自己中心的」「攻撃的」「無責任」「自己正当化」といった特徴を持つ人間を「サイコパス」と呼ぶようになり、こういった人々は、話がうまかったり、場合によっては有能であったりさえする。
というカテゴライズで考えると、近年ネット界隈で話題になったり、人気のあるオピニオンリーダーとかユーチューバーとか論客とか政治家とか起業家とかに、ことごとく当てはまるではないか? ○○とか、▽▽とか。
というか、昨今の社会の分断化、ネットの誹謗中傷、炎上、論破文化とかを見ると、社会全体が「サイコパス化」しつつあると言えなくもないか?
そこで、ちょっと不思議なのは、最近の若者の過度な「トラブル嫌い」「批判嫌い」との関係性だ。
アレルギーと呼んでもいいくらいにトラブルを避ける人々の中で、どうして「言説バトル」が流行っているのだろうか?
そういう話を知人としている中で、ある仮説を思い付いた。
これは、「古代ローマのコロセアム」に似ているのではないか?
ローマ人は、とても文化的な人々だったようだが、その一方でコロセアムにおける格闘の見物を好んだ。その中で、残虐な殺し合いが行われるのを趣味として楽しんだのだ。
自分たちは絶対に闘ったりしない。しかし、見世物としての殺し合いを好む。あくまで自分たちの身は安全圏に置いて。
そう考えると、現代の「無慈悲、残虐バトル」の隆盛は非常に腑に落ちるのだ。