お茶しませう

【これは、劇団「かんから館」が、2010年10月に上演した演劇の台本です】

秋風そよぐ昼下がり。ダージリンとジャムとビスケット。ミルクを注いでお砂糖一つ。ちょっぴりアンニュイ気分で、秘密の会話を致しませう。

猫と暮らしている専業主婦の女性。ミステリー作家志望の売れないライター。
何の接点もない2人の女性が、意外なきっかけで結びつく。

 

    〈登場人物〉

     唯
     美咲
     奈央・洋子(一人二役

      テーブルとイスとソファ。
      唯が紅茶をいれている。

唯    ♪お茶のチャチャチャ
     お茶のチャチャチャ
     チャチャチャお茶のチャッチャッチャッ
     外はけだるい昼下がり
     ママがウトウト眠るころ
     お茶は缶を飛び出して
     床にぶちまけチャッチャッチャッ
     お茶のチャチャチャ
     お茶のチャチャチャ
     チャチャチャお茶のチャッチャッチャッ

     ♪桃太郎さん 桃太郎さん
     お腰につけたサイフから
     全部私に下さいな

     あげましょう あげましょう
     これから僕と警察についてくるなら
     あげましょう

唯   さ、できました。できました。(猫に)お定ちゃんもこっち来なさい。お茶にしますよー。

      しばしの間。

唯   ‥‥そうだよねぇ。お定ちゃんは紅茶は飲まないわよねぇ。‥‥それじゃ、ケーキはいかが? お定ちゃんは生クリーム好きでしょ?

      しばしの間。

唯   あら、今日は生クリームもいらないの? ‥‥そこで日なたぼっこしてる方がいいの? もうおねむなのかな? じゃあ、そこでそうしていなさい。私は一人でお茶するから。

      唯、紅茶を一口。

唯   ああ、おいしい。こんなにおいしいのに、どうしてお定ちゃんは飲まないのかなあ? ああ、そっか。お定ちゃんは猫舌だもんね。‥‥何なら、私がフーフーしてあげるわよ。

      唯、窓の外を見やる。

唯   もう九月なのに、なかなか涼しくならないわねぇ。‥‥それで涼しくなったと思ったら、すぐに寒くなるし‥‥。もうこの頃は秋がなくなっちゃったみたい。夏の次は、すぐに冬。ほんと異常気象だよねぇ。‥‥秋が一番いい季節なのに‥‥。おしゃれもできるし、食べ物もおいしいし、第一ロマンチックだし‥‥。ほんと、台無しよねぇ。暑いのと寒いのだけじゃ、デリカシーってものがないと思わない? だから、人間がどんどん粗雑で野蛮になるのよねぇ。‥‥子供が親を殺したり、親が子供を殺したり、そんなニュースばっかりじゃない? やっぱり季節の移ろいの中で、情緒とか感受性とかデリカシーっていうのは育つのよね。‥‥こんな、暑いか寒いか、寒いか暑いかみたいな気候じゃ、人間の心もすさんじゃうわ。ねぇ、そう思わない? ‥‥あなた、だから、そんなところで日なたぼっこするような季節じゃないのよ。暑くないの?

      唯、紅茶を飲み、ケーキを食べる。
      再び、窓の外を見やる。

唯   でも、空は、もうすっかり秋の空ねえ。‥‥いわし雲。‥‥ああいうの見てると、恋がしたくなるわねぇ。あまーくて、思いっきりロマンチックな恋! とろけそうな恋! あーあ、どこかから白馬の王子様がやって来ないかしら?

      唯、紅茶を飲む。

唯   唯さん、僕はあなたを探していたんです。あなたの面影を求めて、何千、何万キロの遙かな旅をしてきたんです。邪悪な者たちと何度も戦い、不埒な誘惑を退けて、ひたすら旅を続けてきました。そして、二人はやっとこうして出会えた。これは奇跡です。運命です。僕たちは、こうして出会うためだけにこの世に生まれて来たのです。
ああ、ウイリアム、私も、この日の来ることをどんなに待ち焦がれていたことか! ウイリアム、ウイリアム、あなたのことばかりを思って、私は何千、何万日も寂しい日々を過ごしてきたのです。
おお、いとしの唯さん、僕は、もうあなたを決して離しません。さあ、誓いの愛の口づけを受けて下さい。
ああ、ウイリアム‥‥。

      ピンポーン(チャイム)

唯   もう! ‥‥‥。(インターホンに)はい、どなた?
奈央の声   宅急便でーす。
唯   ああ、奈央ちゃん? 今開けるから‥‥。

      唯、去る。
      しばらくして、唯と奈央が戻ってくる。

唯   今、紅茶をいれたんだけど、奈央ちゃんも飲む?
奈央  あ、いいです。今さっきコーラ飲んだとこだから。
唯   あ、そ。
奈央  この暑いのに、よく紅茶なんて飲めますね。
唯   秋は、やっぱりお紅茶よ。
奈央  秋って言ったって、まだ暑いじゃないですか。
唯   ほんと、今どきの若い子は、季節感てものがないんだから。
奈央  アハハハハ。
唯   何がおかしいのよ?
奈央  だって、今どきの若い子って、唯さん、まるでおばさんみたい。
唯   いいでしょ。奈央ちゃんと比べたらおばさんなんだし。
奈央  あ、怒った?
唯   別に怒ってないわよ。‥‥暑いからって、コーラばっかり飲んでると、おなか冷やすわよ。
奈央  あ、やっぱり怒ってる。
唯   だから怒ってないって。

      奈央、猫に歩み寄る。

奈央  あら、ナンシーちゃん、そんなところで日なたぼっこでちゅか? 暑くないでちゅか?
唯   だから、ナンシーじゃないって。お定ちゃんよ、お定。
奈央  別にいいでしょ? だって、お定なんてかわいそうよ。
唯   どこがよ?
奈央  だって、時代劇みたいだし‥‥。
唯   いいじゃない、時代劇だって。お定ちゃんはれっきとした日本人なんだし。それより、ナンシーなんて、アメリカの安っぽいテレビドラマに出てくるあばずれ女みたいじゃない?
奈央  そんなことないですよ。
唯   あるわよ。
奈央  はい、ナンシーちゃん、だっこちまちょうねぇ。はい、はい、いい子でちゅねぇ。
唯   だからナンシーじゃないって。‥‥それに、その赤ちゃん言葉やめてくれない?
奈央  別にいいでしょ? ‥‥はいはい、何がほちいのかなあ?
唯   だから、やめてって。
奈央  どうして?
唯   だって、この子、もう三歳よ。立派な大人なのよ。
奈央  そうでちゅか、ナンシーちゃん、もうみっちゅなのねぇ。お年頃でしゅねぇ。
唯   もう! 勝手にしなさい!
奈央  はーい。

      唯、紅茶を飲む。

唯   ‥‥そういえば、奈央ちゃん、もう授業始まったんじゃないの?
奈央  そうなんですよ。長い長いと思ってた夏休みも、終わっちゃうとあっという間ですよねぇ。‥‥でも、まだ暑いし‥‥。秋休みとかほしいなあ。
唯   何言ってんのよ。大学生なんて、そうでなくても休みばっかりじゃない? いつ勉強してるのよ?
奈央  これでもけっこう大変なんですよ。しょっちゅうレポートとかあるし。
唯   ふーん。
奈央  唯さんこそ、毎日日曜日みたいなもんじゃないですか? ‥‥あーあ、私も早く結婚して、専業主婦になりたいなあ。
唯   何言ってんの? 専業主婦もそんなに気楽じゃないわよ。
奈央  そうですかあ? だって、唯さん、子供もいないし、ご主人だって‥‥。
唯   夫がどうなのよ?
奈央  だって、唯さんのご主人、忙しくって、めったに帰ってこないんでしょ?
唯   帰ってくるわよ。‥‥たまにはね。
奈央  昨日は?
唯   帰ってない。
奈央  おとといは?
唯   帰ってない。
奈央  その前の日は?
唯   着替えを取りに帰ってきたわよ。
奈央  どのぐらい家にいたんですか?
唯   ‥‥二時間ぐらいかな?
奈央  ほーら。
唯   何がほーらよ?
奈央  亭主元気で留守がいい。
唯   うるさい!
奈央  アハハハハ。
唯   もう!
奈央  あーあ、うらまやしいなあ。
唯   もう、勝手に言ってなさい。
奈央  はーい。

      奈央は猫と遊んでいる。
      唯は、紅茶を飲み、ぼーっと外を見ている。

唯   ‥‥あのさ。
奈央  はーい、高い高い。
唯   あのさ、奈央ちゃん。
奈央  え? はい?
唯   奈央ちゃん、ミクシィやってる?
奈央  え? ええ、まあ。
唯   あれって、おもしろいの?
奈央  え? ええ、まあ。
唯   ふーん。
奈央  え? (猫を下ろして)‥‥唯さんもやってるんですか?
唯   いいえ。やってないの。
奈央  やったらどうですか? 猫のコミュもありますよ。猫友もたくさんできるし。
唯   猫友?
奈央  猫好きの友達。
唯   ふーん。‥‥でも、あれって若い人がやるんでしょ?
奈央  ‥‥そうだけど、三十代だったら、全然OKですよ。
唯   ふーん、そっか。
奈央  何なら、私が招待しましょうか?
唯   ‥‥そうねぇ。

      唯、紅茶を飲んで、遠くを見る。

唯   ‥‥あれってさ。
奈央  はい?
唯   出会い系みたいなもんなの?
奈央  え? 全然違いますよ?。
唯   そうなの? だって、友達作るんでしょ? ほら、何とかいう‥‥。
奈央  マイミク?
唯   そうそう、それ。
奈央  マイミクはマイミクですよ。ネット上の友達。
唯   実際に会ったりはできないの?
奈央  そりゃ、オフ会とかしたら会えるだろうけど‥‥。
唯   オフ会?
奈央  ネット上の友達が、実際に会うイベントをオフ会っていうんです。
唯   ふーん。‥‥それって、そのイベントに参加しなきゃ会えないの?
奈央  ‥‥いや、そりゃ、個人的に仲良くなれば、メアドとか交換したりして会えるだろうけど‥‥。
唯   ふーん。‥‥やっぱり会えるんだ。
奈央  唯さん‥‥もしかして、なんか悪いこと考えてません?
唯   え? 悪いこと?
奈央  たとえば、若い男友達を作ろうとか‥‥。
唯   アハハハハ、それはないわよ。
奈央  別に隠さなくてもいいんですよ。ご主人には絶対話したりしませんから。
唯   だから、それはないって。
奈央  なーんだ。つまんない。

      唯、紅茶を飲む。
      しばしの間。

唯   ‥‥その逆よ。
奈央  ‥‥え?
唯   ‥‥あのさ、
奈央  ‥‥はい。
唯   ‥‥これ、絶対秘密の話ね。
奈央  ‥‥はい。
唯   うちの夫がさ、どうもミクシィにはまってるみたいなのよ。
奈央  ‥‥はい。
唯   ‥‥それがさ、ただネットで遊んでるだけじゃないみたいなの。
奈央  ‥‥え?
唯   その、マイミク? それを一杯作ってるみたいなの。
奈央  はあ‥‥。
唯   でさ、それが若い女の子ばっかりみたいなの。
奈央  はあ‥‥。
唯   だから‥‥たぶんね。
奈央  はあ‥‥。
唯   そういうことじゃないかって。
奈央  はあ‥‥。

      しばしの間。

唯   奈央ちゃん、ミクシィ詳しいの?
奈央  ‥‥まあ、それなりには。
唯   じゃあ、ちょっと協力してくれない?
奈央  はあ‥‥。まあ、いいですけど。
唯   じゃあ、お願いね。‥‥あ、お定ちゃん、そっちの部屋に行っちゃダメでしょ!

      唯、立ち上がって、猫に駆け寄る。

奈央  ‥‥‥。

      暗転。

      テーブルとイスとソファ。
      美咲がノートパソコンを打っている。
      洋子がソファに寝そべって雑誌を読んでる。

美咲  (キーボードを打ちながら)ったく、どうしようもねえな。あいつどこ行っちまったんだよ、もう。フラっとやって来たかと思ったら、黙って勝手に出て行きやがって、世話の焼けるガキだぜ。‥‥ざけんじゃねぇよ。ったく。
うわああああああああああっ!
洋子  (驚いて)えっ?
美咲  あー、もうダメ! やんなった。(パソコンを閉じる)
洋子  また?
美咲  うん。
洋子  さっきから‥‥(時計を見る)‥‥まだ三十分も経ってないじゃん。
美咲  わかってるよ。‥‥でも、ダメなものはダメなの!
洋子  ふーん。
美咲  今度という今度は、根本的、抜本的、天地開闢的にダメだあ!
洋子  え?
美咲  あー、どーしてあたしがこんなの書かなきゃなんないのさあ!
洋子  ‥‥‥。
美咲  あたしはラノベなんて向いてないんだよー!
洋子  ‥‥‥。
美咲  洋子、あんたもそう思うでしょ?
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇ。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇ、何とか言いなさいよ!
洋子  あー。
美咲  もう、ふざけないで! こっちは深刻なんだから!
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇ!
洋子  ‥‥じゃあ‥‥飢えて、死ぬ?
美咲  ‥‥‥。わかってるよ。それはわかってんだけどさあ‥‥。
洋子  じゃあ、書けば?

      洋子、再び雑誌を読み出す。

美咲  ほんと、あんたって子は、冷たいのよね。ほんと、冷たい。冷たい。冷たーい。
洋子  ‥‥‥。(雑誌を読んでる)
美咲  あんたって、昔からそうだったよね。初めて会った時からそうだったわ。あー、なんてドライで冷たい人なのって‥‥それがあたしの第一印象よ。ああ、どうしてこんな人と友達なんかになっちゃったのかしら?
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇ、洋子、聞いてるの? 聞いてないの? こら、自分の悪口ぐらい聞きなさいよ! ねぇ。
洋子  ‥‥‥。ふーん、それで?(雑誌を見てる)
美咲  だからさあ、別にそれが主題じゃないわけよ。別にあんたとケンカ別れしたいってわけじゃないんだからさ。‥‥でもさ、一応友達なんだし、グチぐらい言わせてくれてもいいでしょ? ねぇ、言ってもいいでしょ? ねぇ、聞いてくれてもいいじゃない! ねぇ!
洋子  ‥‥‥。じゃ、言えば?(雑誌を見てる)
美咲  あたしさ、どう考えてもさ、ラノベには向いてないのよね。というか、カラダが受け付けないのよ。そりゃ、仕事なんだからさ、割り切らなきゃなんないことはわかってるよ。だから、十分、いや十二分割り切ってるよ。ご都合主義の薄っぺらいストーリー展開も、アニメチックなパターン化したキャラクターの設定も、とても日本人とは思えないへんてこな登場人物の名前も、精一杯受け入れてきたわよ。それだけじゃない。ああああああああああああああああああなんて訳のわかんない叫びも、グオオオオオオオオオオオオオオなんていう擬音語かどうかさえ定かでない表現も、思いっきり割り切って書いてきたよ。
でもさ、どうしても、どうやっても割り切れないのがさ、奴らの言葉使いなんだよね。どうしてさ、フツーの、いや、むしろ草食系のヤワな根性のなさそうな中学生や高校生たちがさ、「ざけんじゃねえ!」とか「ったくてめえはよー」とか「行くんじゃねぇ!」「知ったことかよ」とかさ、一昔前のチンピラかヤンキーみたいな言葉使うんだよ? それも、フツーの女の子までがさあ?
洋子  ‥‥‥。さあ? ‥‥アニメの影響じゃない?
美咲  そうなのよ。ラノベの読者って、ほとんどが二次元系だからさ、アニメの影響は強烈に濃厚なわけ。だけどさ、アニメにしてもさ、ラノベにしてもさ、二次元系に限って、どうしてあんな風な特殊な言語文化が形成されちゃったわけ?
そうそう、同じ二次元だったらさ、あいつらはさ、ドラマとかは見ないわけ? いくら何でもさ、ドラマじゃ、あんなヤンキー言葉使わないしさ、そりゃキムタクは時々使うけどさ、あのキムタクだって、せいぜいヤンキー言葉は三十から四十パーセントぐらいのもんだしさ、ああいうのを見てたら、いくら地方の田舎モンでもさ、東京の若者がみんなヤンキー言葉でしゃべってんじゃないことぐらいわかると思わない? ねぇ?
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇってば!
洋子  黙って聞いてたら、グダグダグタグダくだらねえ文句たれやがって、うぜぇんだよ! てめーは!
美咲  !
洋子  ‥‥みたいな感じ?
美咲  ‥‥‥。アハハハ‥‥。そう。
洋子  なーるほどねぇ。
美咲  ‥‥わかった?
洋子  あんたがキムタクが嫌いなことは、よーくわかった。
美咲  あ‥‥そう。
洋子  うん。

      しばしの沈黙。
      洋子は雑誌を読んでいる。

美咲  ‥‥あのさ。
洋子  うん?(雑誌を見ている)
美咲  洋子はさ、そういうのないわけ?
洋子  うん? ‥‥何? そういうのって。
美咲  もうやだ、こんなの死んでも書きたくない、とかさ。
洋子  ‥‥もち‥‥あるよ。
美咲  ‥‥どうするわけ?
洋子  うん?
美咲  そういう時、どうするわけ?
洋子  ‥‥書くよ。‥‥死んだつもりで。
美咲  ああ‥‥そう。
洋子  うん。
美咲  ‥‥あんた、強いのね。
洋子  ‥‥‥。(雑誌を読んでる)
美咲  だから、洋子さんは強いんですねって言ってるの。聞いてる?
洋子  ‥‥それ、ちょっと違うと思う。
美咲  え?
洋子  強いとか、弱いとか‥‥。
美咲  え? ‥‥それ、どういう意味?
洋子  あたしたち、そんな結構なご身分じゃないもん。
美咲  え‥‥。
洋子  断ったら、仕事来なくなる。‥‥そして、飢えて、死ぬ。‥‥それだけ。
美咲  そりゃ‥‥そうだけどさあ‥‥。わかってるけどさあ‥‥。
洋子  それじゃ、グダグタ泣き言言ってないで、さっさと書くべし。
美咲  もう‥‥。あんたとは、口きかない。‥‥五分間。
洋子  ‥‥‥。

      長い沈黙。
      二人は背中合わせに座っている。

美咲  ‥‥ねぇ。
洋子  まだ五分経ってないよ。
美咲  もう!

      長い沈黙。

美咲  ‥‥ねぇ。
洋子  まだ五分経ってないよ。
美咲  洋子のバカ!
洋子  ふーん。

      長い沈黙。

美咲  もうやめた!
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇ、なんかしゃべってよ。
洋子  あー。
美咲  ふざけないで! あたし、ほんとにピンチなんだから!
洋子  ‥‥‥。♪フリーライターは、気楽な稼業と来たもんだ。
美咲  何よ、それ?
洋子  替え歌。植木等
美咲  何が気楽な稼業よ!
洋子  パラドックス。逆説。皮肉。諧謔。自虐。自嘲。ペーソス。
美咲  そんなの解説してもらわなくてもいいわよ!
洋子  あ、そ。

      長い沈黙。
      洋子、雑誌を読んでる。

美咲  ‥‥ねぇ。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ねぇってば。
洋子  ‥‥‥。
美咲  お願いだから、何かしゃべってよ。‥‥あたし、マジで泣きそうなんだから。
洋子  ‥‥‥。

      洋子、雑誌を伏せる。

洋子  ‥‥だったらさ、
美咲  うん。
洋子  やめちゃえば?
美咲  え?
洋子  そうよ、やめちゃえばいいのよ。売れないラノベも、売れないミステリーも、ぜーんぶ。
美咲  もう! どうしてそんないじわるを言うのよ!
洋子  いや、全然いじわるじゃないのよ。これ、マジで言ってんの。‥‥世の中、売れない作家しか職業がないわけじゃないんだからさ。‥‥そうよ、そんなにイヤだったら、ぜーんぶ投げ出してやめちゃえばいいのよ! 簡単じゃん。
美咲  ‥‥‥。(洋子の顔をじっとみる)
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥それ‥‥マジで言ってる?
洋子  ‥‥うん。マジ。
美咲  ‥‥‥。
洋子  アハハハ‥‥。何で今まで気がつかなかったんだろ? バッカだなあ、あたしも‥‥。
そうだよね。腐った豆腐みたいな味だったら、腐った豆腐みたいな味だ!って書けばよかったのよ。それをさ、わざわざ「野趣あふれる田舎風のまったりした味わいで‥‥」なんて苦しいごまかしの文章で飾る必要なんてなかったのよ! それでさ、「お前はクビだあー!」って言われたら、そうですか! サイナラー! って言っちゃえばおしまいだったのよねぇ?。
ああ、そうだ、そうだ、真実の本質ってのは、まっこと実に単純素朴にできてるのよ!
美咲  ‥‥‥。それ‥‥本気で、そう思ってる?
洋子  うん。
美咲  ‥‥じゃさ、洋子もやめちゃうわけ?
洋子  ううん、やめない。
美咲  なによ! それー!
洋子  だから、心構えよ。心構え。‥‥そう思ってたら、いざという時ハラくくれるじゃん。
美咲  なーんだ。
洋子  なーんだじゃないわよ。そういうの、大切なんだから。
美咲  ‥‥かなあ?
洋子  そうよ。‥‥じゃないとさ、思い詰めて首とかくくっちゃったら馬鹿らしいじゃん。‥‥別に、やめても、飢えて死なないんだからね、ってわかってるのって大切よ。
美咲  ‥‥はあ‥‥そんなもんですか?
洋子  はい。そんなもんです。

      しばしの間。

洋子  ‥‥で、どうすんの?
美咲  え?
洋子  やめちゃうの?
美咲  うーん‥‥もうちょっと、やってみる。
洋子  あ、そう。
美咲  ‥‥うん。
洋子  じゃあ、今度は、一時間続けてみよう!
美咲  ‥‥そうだね。(少し笑う)
洋子  ふぁいとぅ。
美咲  おぅ。

      美咲、テーブルに戻って、パソコンを打ち始める。
      洋子、再び雑誌を読み始める。

美咲   貴様ら、まだ生きていやがったのか? イマルは腰の剣をスクっと抜いて振りかざした。おうおうおう、てめーこそ、のこのことうろつきやがって。ったく、目障りな野郎だぜ。‥‥‥

      暗転。

      テーブルとイスとソファ。
      唯、ケータイを見ている。

唯   つかれたー。今日はほとんど完徹。明け方にデスクの上で一?二時間うたたね。
起きてから、おもいっきり濃いコーヒーを飲んだ。舌がしびれるぐらいに苦かった。
でも、おかげで、何とかプレゼンは乗り切れそう。
これで一山越えるかな?
このプロジェクトが終わったら、二三日、休みがほしいなあ。
別に、特に予定はないけど、青春十八切符とか買っちゃったりして、遠くへ行きたいのだ。
どこがいいかな?
とにかく北の方がいいな。
北海道?
それはちょっと遠すぎるか?
草津温泉
それじゃ、ちょっとオジンくさいなあ。
まあ、ちょっとぶらりと東北あたりに行ってみたいなあ。
マジでボスに交渉してみようかな?
それぐらいの休みはもらってもいいと思う。それだけがんばったんだし。
うわさをすれば、そろそろボスのご出勤の時間だ。
さあ、あとひとふんばりするか。

‥‥ふーん。

      唯、ケータイを見続ける。

唯   今日は喫茶店でブランチ。
パンケーキとサラダとソーセージとコーヒー。
窓の外には、忙しそうに歩いて行くビジネスマン。OL。黄色いタクシー。青いバス。銀色の自動車。
どうして、みんな、そんなに急ぐのか?
まぶしい空。暑い太陽。
もう、秋なんて季節はどこかに置き忘れた。

老人が一人、横断歩道を渡っていく。
ダックスフントがちょこまかと歩いて行く。
老人が犬を連れているのか?
犬が老人を連れているのか?
思わず笑ってしまった。
声をたてて笑ってしまった。

そういえば、笑うのは久しぶりだ。
声を出して笑うのはほんとに久しぶりだ。

最近ちょっとロマンチックが足りないなあ。
十代の頃は、見るもの聞くもの触れるもの、全部にときめきがあったのに。
これがトシをとるということか。
トシをとったなんていうと怒る人もいるかもね。
でも、確実に毎日毎日トシをとっていくんだ。

ちょっとさみしいね。
ちょっぴり孤独だね。

ということで、今日は少し詩人になってみました。

ある秋の日のひとりごと。

おしまい。

これって‥‥詩なの?

      唯、ケータイを見続ける。

唯   ひとりぼっちの夜。
高層ビルの明かりがやけに目にしみる。
こんな夜には人恋しくなる。
こんな夜には君が隣にいてほしい。
暗い空の向こうに、明滅する赤い光。
点いては消え、消えてはまた点く。
それを何も考えずに、ただぼーっと見つめている。
時間を忘れて見つめている。
ひとりぼっちで。
こんな夜には君がいてほしい。

‥‥‥。

      唯、ケータイを閉じて、窓の外を見る。
      猫がやって来る。

唯   ‥‥はいはい、お定ちゃん、こっち来なさい。

      唯、猫を抱く。

唯   ‥‥この人、何を考えてるのかなあ? お定ちゃんはどう思う? クールで、ニヒルで、影のある男を気取ってるつもりなのかなあ? ‥‥それで、ちょっとさびしがり屋さんで‥‥。
‥‥母性本能をくすぐってるつもりかしら?
こんなので、今時の若い女の子がひかれるとは思えないんだけどなあ‥‥。
あ、こら、ツメたてちゃだめよ。もう!

      唯、猫を離す。
      唯、窓際に立って、外を眺める。。

唯   ‥‥ほんと、毎日毎日、いいお天気、ていうか、かんかん照りねぇ。‥‥ほんと、いつになったら秋になるのかしら?こんなんじゃ、水不足で、お野菜が高くなるわねぇ、きっと。
‥‥お定ちゃん、何そんなとこですねてんの? あなたが悪いんだからね。ツメなんかでひっかくから。‥‥ねぇ、私が何か悪いことした? ねぇ。 ‥‥何しらばっくれてんのよ? あなたにきいてるのよ?

      ピンポーン(チャイム)

唯   あら? 奈央ちゃんね。

      唯、玄関に出て行く。
      しばらくして、奈央と二人で戻ってくる。

唯   お茶でも入れましょうか?
奈央  あ、いいです。
唯   あ、そうだ。奈央ちゃんはコーラだったわね。あいにくうち、コーラ買ってないのよ。‥‥何かあったかしら?
奈央  あ、いいです。さっき飲みましたから。
唯   あら、そう?
奈央  あら、ナンシーちゃん。そんなとこで何してるんでちゅか?
唯   だから、ナンシーじゃないって! お定よ、お定。

      奈央、猫を抱く。

奈央  はいはい、ナンシーちゃん、元気でちたか?
唯   その子ね、さっき私をひっかいたのよ。私、ただ、抱いてただけなのに。
奈央  へえ。‥‥ナンシーちゃん、おいたしたらダメでちゅよ。唯さん、痛い痛いしてまちゅよ。
唯   ほんと、この子ったら、気分屋さんなんだから。‥‥いったい、誰に似たのかしらね?
奈央  ‥‥さあ?
唯   ‥‥もう。
奈央  ‥‥それで、どうでした?
唯   え? 何が?
奈央  何がって、決まってるでしょ? 例の話ですよ。
唯   ああ‥‥。それがねぇ、私、もう一つよくわかんないのよ。
奈央  え、何が?
唯   ‥‥ミクシィ。‥‥あれって、どこがおもしろいの?
奈央  ああ‥‥それですか。‥‥まあ、慣れてきて、マイミクが増えてきたりしたら、だんだんおもしろくなりますよ。
唯   どうやって、マイミクを増やすの?
奈央  それは‥‥いろんなコミュニティに入ったりして、趣味とかが合う人とかを見つけるんですよ。
唯   ふーん。そうなの?
奈央  はい。‥‥それより、ご主人の日記とか見ました?
唯   まあ‥‥見るには見たけど。‥‥全部じゃないけどね。
奈央  それで、どうでした?
唯   まあ、独身のふりをしてることははっきりしてるわね。それと、エリートビジネスマンで、シティボーイで、かなりのさびしがり屋さん。年齢はウソはついてないみたいね。それに、なんかキザなポエムみたいなのがあって‥‥。
奈央  ‥‥そうみたいですね。
唯   でもさあ、何となく、昔のムード歌謡の世界っていうか、そこの主人公みたいな感じがしなくない?
奈央  ‥‥そう‥‥ですかね?
唯   そうよ。‥‥何か、キザすぎて、笑っちゃう。‥‥あんなので今時の女の子が釣れるの? まあ、水商売の女の子なんかだったら寄ってくるかもしんないけどさ。
奈央  まあ‥‥人によって趣味はいろいろありますからね。‥‥それに、年上好みの子なんかも最近はけっこういますからねぇ。
唯   そんなものかしら?
奈央  はい。
唯   私だったら、ごめんだわ。こんなキザな男。
奈央  それに、やっぱりメッセージを見てみないと‥‥。そこでどんなアプローチをしてるのか、わかりませんからね。
唯   メッセージ? 何、それ?
奈央  マイミクと個人的な連絡ができるんですよ。‥‥そこで案外、顔文字とかハートマークとか、いっぱい使ってたりして‥‥。
唯   ふーん。そうなの? ‥‥それって、見られないの?
奈央  それは、本人同士しか見られません。
唯   ふーん。‥‥そうなの。
奈央  はい。
唯   それじゃ、プロフとか日記だけじゃ、本当のところはわかんないわけだ。
奈央  ‥‥そうですね。
唯   ‥‥困ったわね。
奈央  あら、ナンシーちゃん。どうしたの? どこ行くの? おトイレかな?
唯   だから、ナンシーじゃないって。

      奈央、猫を離す。
      しばしの間。

奈央  あの。
唯   何?
奈央  方法はありますよ。
唯   え? 何?
奈央  だから‥‥メッセージを見る方法。
唯   え? どうすんの?
奈央  簡単ですよ。唯さんが、ご主人にメッセージを送ればいいんですよ。
唯   ダメよ。‥‥そんなの‥‥すぐにバレるじゃない?
奈央  だから、唯さんも、別人になるんですよ。‥‥女子大生とか、OLとか。‥‥それで、唯さんの方からアプローチを仕掛けるんですよ。
唯   あ‥‥そっか。‥‥その手があるわね。‥‥でも、うまくできるかしら? そんなの。
奈央  大丈夫。私が全面協力しますから。‥‥これでも、一応、本物の女子大生ですからね。
唯   ああ、なるほどね。それは心強いわ。
奈央  でしょう?
唯   うん。‥‥何だかおもしろくなってきたわね。何か、ゲームみたい。
奈央  ‥‥恋も人生もゲームですよ。
唯   こら、生意気言うな。ガキのくせに。
奈央  もう、子供じゃありませーん。
唯   いやいや、まだまだ子供よ。おばさんから見たら。
奈央  あ、自分でおばさんなんて言ってるぅ!
唯   だって、事実でしょ。悔しいけど。
奈央  アハハハハハ。
唯   アハハハハハ。

      暗転。

      テーブルとイスとソファ。
      美咲がパソコンを打っている。
      洋子が部屋に入ってくる。

洋子  おはよう。

      美咲、あわててパソコンを閉じる。

美咲  おはよう。
洋子  おやおや、またまた徹夜でお仕事ですか?
美咲  ‥‥うん。
洋子  ほんと、貧乏暇なしですな。‥‥お互いに。
美咲  ハハハ。‥‥そうだね。
洋子  そんなことだろうと思って、コーヒーとパン、買ってきた。はい。

      洋子、コンビニの袋を差し出す。

美咲  ああ、サンキュウ。‥‥いつもいつもすまないねぇ。
洋子  ‥‥おとっつぁん‥‥それは言わない約束だよ。
美咲  ああ‥‥そうだったなあ。お洋。‥‥でもなあ、いつもいつも、お前にばっかり世話かけちまって‥‥。。
洋子  ‥‥おとっつぁん。何言ってんだよ。水くさいじゃねぇか。親子だろ?
美咲  ‥‥お洋。
洋子  ‥‥おとっつぁん。

      二人、抱き合う。

二人   アハハハハハハ。

      二人、袋から食べ物を取り出す。

洋子  ‥‥何書いてたの? ‥‥また、ラノベ
美咲  ‥‥ううん。‥‥もう、ラノベはやめた。
洋子  ふーん。
美咲  あれは、やっぱり生理的に無理。
洋子  ふーん。
美咲  ほら、イヤなものを無理して書くとさ、やっぱ、無理して書いてまーすって感じがどうしても出ちゃうのよねぇ。‥‥それで、当然、書き直しになるでしょ? すると、ますます耐えきれなくなっちゃう。‥‥その悪循環。
洋子  ‥‥なるほどねぇ。
美咲  もう、精神衛生的に最悪。ボロボロ。
洋子  ‥‥ふーん。
美咲  もう、ミンザイ飲んでも、安定剤飲んでも、やってけない。‥‥それでやめた。
洋子  あんた、クスリやってるの?
美咲  クスリって、ただの精神安定剤よ。‥‥あんたはやってないの?
洋子  まあ、ミンザイとかは飲むけどね。
美咲  ほーら、飲んでるんじゃん。
洋子  ミンザイぐらい、誰でも飲むっしょ?
美咲  ‥‥あれ、効く?
洋子  ‥‥まあ、効く時もあれば、効かない時もあるかな? まあ、一種のおまじないよね。
美咲  だよねー。
洋子  うん。
美咲  まあ、ミンザイもだけど、調子悪いと、覚醒剤とかもほしくなるよねー。
洋子  えっ、それはヤバいっしょ。
美咲  だから、ほしくなるだけよ。
洋子  おとっつぁん。それは言わない約束だよ。‥‥人間やめますか? 覚醒剤やめますか?
美咲  わかってるよ。‥‥でもさ、昔の新聞記者とか小説家とかはさ、フツーに使ってたらしいよ。ヒロポンって名前で薬局で売ってたんだって。
洋子  それ、いつ頃の話?
美咲  うーん、確か、戦後すぐの頃。
洋子  じゃさ、老人の小説家とかは、みんな覚醒剤中毒なわけ?
美咲  ‥‥かもね。
洋子  うわっ、あぶねぇ、あぶねぇ。
二人   ハハハハハハハ‥‥。

      しばしの間。

洋子  ‥‥まあ、たしかに、この業界の人間は病んでるよねぇ。うつ病の人間なんて、ゴロゴロいるもんねぇ。
美咲  洋子‥‥私も、もううつ病かもしんない。
洋子  おやおや、そうなんですか?
美咲  ‥‥はい。
洋子  それは困りましたねぇ。
美咲  ‥‥はい。
洋子  ‥‥それじゃ、先生がチェックテストしてあげましょう。
美咲  え‥‥はい。
洋子  朝早く目が覚めますか?
美咲  うーん、そういう時もある。
洋子  起きてから気分がさえないですか?
美咲  はい。
洋子  仕事をする気がおきませんか?
美咲  はい。おきません。
洋子  服装や身だしなみが気になりませんか?
美咲  はい。どうでもいいです。
洋子  それって、あんた、昔からじゃないの?
美咲  いいから、続けて。
洋子  何となく不安でイライラする時がよくありますか?
美咲  はい。しょっちゅうあります。
洋子  人に会うのが苦痛ですか?
美咲  はい。
洋子  いっそ、この世から消えてしまいたいと思いますか?
美咲  時々思います。
洋子  最近、食欲が落ちていますか?
美咲  食欲は、いつもあまりありません。
洋子  最近、性欲が落ちていますか?
美咲  相手がいないのでわかりません。
洋子  これでおわりです。お疲れ様でした。
美咲  ‥‥で、どうなのよ?
洋子  うーん‥‥よくわかんない。
美咲  何よ! それ!
洋子  だって‥‥私、医者じゃないもん。
美咲  じゃあ、それ、どこで習ってきたのよ?
洋子  最近、雑誌とかネットとかでよく出てるわよ。うつ病チェックって。
美咲  ‥‥へぇ。‥‥うつ病って、そんなに流行ってるんだ。
洋子  ‥‥みたいね。
美咲  みんな、病んでるんだねぇ。
洋子  ‥‥みたいね。
美咲  ‥‥ふーん。
洋子  でもさ、気になるんだったら、一遍行ってきたら? 心療内科とか精神科とか。
美咲  うん。‥‥でもさ、ああいうところに行ったら、誰でも病気にされちゃうような気がしない?
洋子  たしかに‥‥それは、ある。
美咲  ‥‥でしょう?
洋子  でもさ、友達に聞いたんだけどさ、抗うつ剤って確かに効くんだって。
美咲  ほんと?
洋子  ほんと。‥‥悔しいけど効くって言ってたよ。
美咲  何、それ?
洋子  人間の高度な精神状態が、たかがクスリ程度で変わってたまるかーって。‥‥それで、飲んでみたらガラッと変わっちゃったんだって。
美咲  へぇー。
洋子  ‥‥だからさ。
美咲  うん。‥‥ちょっと考えてみる。‥‥ヒマとお金があったらね。
洋子  そうそう。それが問題なのよねー。
美咲  だよねー。

      二人、食事を続ける。

洋子  ‥‥で、ラノベやめちゃったんだったらさ、何書いてるの? ミステリー?
美咲  うん。書きたいんだけど‥‥。仕事が来ないしさ。
洋子  ‥‥じゃあ、何書いてるの?
美咲  ‥‥それがさ‥‥。
洋子  何、何? エッセイとか?
美咲  ‥‥まあ‥‥みたいなもんかな?
洋子  ねぇ、ねぇ、どんなエッセイ?
美咲  ‥‥まあ‥‥つまんない雑文よ。
洋子  ちょっと、見せてもらってもいい?

      洋子、立ち上がる。

美咲  ダメ! 見ちゃダメ!
洋子  何よ、それ? 私とあなたの仲じゃない?
美咲  ダメなものはダメなの!
洋子  そこまで言われると、もう、見ないわけにはまいりませんな。
美咲  やめて! お願い!
洋子  どうしたのよ? ‥‥ははあーん、ひょっとしてエロ小説とか?
美咲  じゃないけどさ。‥‥見ないで! お願い!
洋子  そう言われると、見たくなるのが人情ってものでね‥‥。どれどれ‥‥。

      洋子、パソコンを開く。

美咲  わあ!(目をふさぐ)
洋子  ええーっと‥‥ユカリです。まずは一度会ってみるコトから始めたいけど、お互いに知らないことはあるから、それに貴方に迷惑かもしれないし、最初は気軽にメールだけでもいいです。その後で、貴方が良ければ待ち合わせの約束をしてもらえますか。デート代とかホテル代とかその辺りは私の方で出させて下さい。お金の問題なんかじゃないと言われそうですが、こうして誘っているのは私のほうですから。
あまり人に言うことではないけど、地元の父のおかげでOLの私も経済的には余裕があります。貴方が望みならある程度の援助をすることも出来ます。
‥‥何、これ?
美咲  ‥‥‥。
洋子  ねぇ、何なのよ、これ?
美咲  ‥‥‥。だから、見ないでって言ったじゃん。
洋子  これって‥‥出会い系よね? あなた、サクラなんかやってるの?
美咲  だって‥‥だって‥‥仕事がなければ、飢えて、死ぬって‥‥そう言ってたのは洋子よ。
洋子  ‥‥そりゃ、言ったわよ。確かに言いました。‥‥でも、いくら何でも‥‥。
美咲  もう! 馬鹿にすればいいのよ! 軽蔑すればいいのよ!勝手にしてよ!

      美咲、泣く。

洋子  ‥‥‥。

      長い沈黙。

洋子  ‥‥美咲。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥まあ‥‥いろいろ、あんだろうけどさあ。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥そこまでやらなくてもよくなくない?
美咲  ‥‥だって。‥‥だって。‥‥仕事やらなきゃ、飢えて、死ぬじゃん。
洋子  ‥‥だったらさあ‥‥どうしてさ、相談してくれなかったのよ?
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥そこまで、追い詰められてるって、知らなかったしさあ。
美咲  ‥‥だって。
洋子  だって‥‥何よ?
美咲  ‥‥自分のことはさ‥‥自分で何とかしたいじゃん。‥‥人の世話にはなりたくないじゃん。
洋子  ‥‥そりゃ、気持ちはわかるけどさあ。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥だけど、それって、やっぱり冷たいよ。‥‥あんたと私の仲じゃん? 他人じゃないじゃん?
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥そりゃ、私だって楽に仕事してるわけじゃないけどさ。‥‥友達が困ってるんだったらさあ‥‥何とか力ぐらいにはなりたいじゃん。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥でしょ?
美咲  ‥‥うん。‥‥ありがと。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥だからさ‥‥出会い系のサクラなんかはやめなよ。
美咲  ‥‥‥。
洋子  私たち、これでも一応物書きの端くれなんだからさ‥‥。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥最低限のプライドだけは持とうよ。
美咲  ‥‥‥。うん。
洋子  ‥‥私も、いろいろあたってみるよ。‥‥そんなにいい仕事はないかもしんないけど。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥まあ、あんまり期待しないで待ってて。
美咲  ‥‥うん。‥‥ありがと。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥ごめん。‥‥世話ばっかりかけちゃって。
洋子  ‥‥それは言わない約束だよ。‥‥おとっつぁん。
二人   ‥‥アハハ。‥‥アハハハハハハ。

      暗転。

      テーブルとイスとソファ。
      唯と奈央が座っている。

唯   タカちゃん。
奈央  カムイ三世。
唯   イサオ。‥‥この三人は間違いないわね。
奈央  はい、そうですね。
唯   あと‥‥サムシング、アンドロメダ帝王‥‥この辺も怪しい。
奈央  そうですね。
唯   ‥‥ほんと、この人何やってんだか? ‥‥こんなことしてて、仕事する時間なんてあるのかしら?
奈央  ほんと、確かに、マメですよねぇ。
唯   こういうのって、マメって言うの?
奈央  アハハハ‥‥。そうですね。
唯   こんなのをいちいち相手してたら、わけがわかんなくなっちゃうわ。
奈央  ほんと、一人ずつにデータベースが必要ですね。
唯   あの人って、ひょっとしたら、ほんとに多重人格なんじゃないかしら?
奈央  うーん。それはたぶんないと思うけど、可能性がゼロでもないですね。
唯   でしょう?
奈央  ‥‥だから、やっぱり全部に対応するのはやめて、とりあえずタカちゃんにターゲットに絞りましょう。
唯   ‥‥そうよねぇ。そうしないと、こっちの方が混乱してボロを出しちゃいそうだわ。
奈央  そうですよ。
唯   わかった。
奈央  だから、今まで通り、唯さんがマユミで、私がミッキーで、それで続けましょ。
唯   そうね。
奈央  それで、マユミの方はどうですか?
唯   まあ、とりあえずメル友になったって感じかな?
奈央  それで、メッセージはどんな感じですか?
唯   それがねぇ、極々フツーな感じなのよ。絵文字なんかもそんなに使わないし‥‥。趣味の話とか、仕事の話とかがほとんどでさ、どっちかというと真面目な好青年のイメージね。
奈央  そうですか。
唯   ミッキーの方はどうなの?
奈央  私の方もわりと真面目ですねぇ。女子大生相手だから、それなりに絵文字とかは多いけど、でもそんなにふざけた感じでもないし、重たくもないけど、そんなにむちゃくちゃに軽くもないですねぇ。
唯   そうなの?
奈央  はい。
唯   直接のメッセージだから、もっとプレーボーイ風に書いてくるのかと思った。何か、拍子抜けねぇ。
奈央  そうですねぇ。‥‥でも、もうちょっと関係が親密になってくると豹変するかもしれませんよ。
唯   そうかな?
奈央  そうですよ。フツーのカップルなんかでも、紳士だったのが、付き合いだしたとたんにDVになったりすることもあるらしいし‥‥。
唯   DV?
奈央  ドメスティック・バイオレンス。暴力ふるうんですよ。
唯   ああ。‥‥そのDVね。そういうの、この頃多いらしいわね。雑誌で見たわ。
奈央  あの‥‥こんなこと聞いて何ですけど‥‥ご主人は、そういうのはなかったんですか?
唯   え? 何?
奈央  だからDVとか‥‥。
唯   うーん、そういうのはなかったわね。少なくとも手を出したりはしなかったわ。
奈央  そうですか。
唯   うん。
奈央  ‥‥じゃさ。
唯   え? 何?
奈央  ‥‥こんなの聞いてもいいかな?
唯   だから何よ? とにかく言ってみて。
奈央  そうですか? ‥‥じゃあ、言いますけど‥‥どうするつもりなんですか?
唯   え? 何が?
奈央  だから‥‥こうやって、ミクシィで、ご主人の動きを調べて、それでどうするんですか?
唯   ああ‥‥それね。
奈央  ‥‥はい。
唯   離婚するの。
奈央  え?
唯   だから、浮気の証拠を突きつけて、離婚するのよ。
奈央  はあ‥‥。
唯   それで、慰謝料をもらうの。
奈央  はあ‥‥。
唯   ‥‥わかった?
奈央  ‥‥はあ‥‥まあ。
唯   ‥‥そういうこと。
奈央  ‥‥‥。

      しばしの間。

唯   あら、お定ちゃん、お目覚めかな? ‥‥まだ、ごはん残ってるわよ。
奈央  ‥‥‥。

      唯、エサ皿を持って来て、猫に食べさせる。

奈央  ‥‥あのぅ。
唯   え? 何?
奈央  ついでに聞いてもいいですか?
唯   だから、何?
奈央  ‥‥どうして、離婚するんですか?
唯   え?
奈央  ご主人が、浮気してるからですか?
唯   ああ‥‥そうねぇ。‥‥それもあるかな?
奈央  それもって‥‥。
唯   奈央ちゃん‥‥あなた、まだ若いから、わからないかもしれないけど‥‥。
奈央  ‥‥はい。
唯   私たちねぇ‥‥もう、とっくに終わってるのよ。
奈央  ‥‥はい?

      しばしの間。

唯   ‥‥愛とか恋とかだけで、結婚が成立しないのは、あなたでもわかるでしょ?
奈央  ‥‥はあ‥‥まあ‥‥なんとなく。
唯   私もね、それぐらいのことはわかって結婚したのよ。
‥‥でもさ、彼には能力があって、どんどん仕事にのめり込んでいくしさ、私も、それを嫌がってはいなかったの。いや、嫌がるどころか、それが彼を好きになった理由だったのよね、たぶん。どっちかって言うとさ、仕事もできないような男には魅力を感じられないタイプなの、私は。‥‥だから、嫌がるどころか、そんな彼を私は応援していたの。
奈央  ‥‥はあ。
唯   それで、彼は彼で、男に寄りかかってくるような女じゃなくって、自分の価値観と生き方をしっかり持った女が好きだったのよね。
だから、彼と私は、まさにベストカップルだっのよねぇ。
奈央  ‥‥‥。
唯   だから、二人は結婚したの。私はとっても幸せだったし、彼も幸せだったと思うわ。
そして、彼は彼の人生を思い通りにどんどん築き上げて行ったわけ。そして、私は、私でさ、自分の充実した人生を築き上げて行った。‥‥そこには、何の問題もなかったはずなのよねぇ。
‥‥そうやって、十年ぐらいの月日が流れて、そして、ある日、気づいたの。
彼にとって私は何なんだろう? 私にとって彼は何なんだろう? って。
こういう疑問って、ほんとは気づいちゃいけないのよ。気づいちゃったら、もうなかったことにはできないんだからさ。‥‥でも、私は、その禁断の疑問に気づいちゃったのよ。
そして思ったのよ。‥‥彼が彼の人生に私を必要としていないように、私は私の人生に、彼を必要としていないんだろうなって。
奈央  ‥‥‥。
唯   たぶん、彼は私を嫌いじゃないだろうし、私も彼を憎んだりしてはいない。‥‥どちらが悪いってわけでもなくって、いわば、それが二人の運命なのよね。
奈央  ‥‥‥。
唯   ‥‥ちょっと、奈央ちゃんには、まだ難しかったかな?
奈央  ‥‥はあ。
唯   ‥‥まあ、いわゆる大人の事情ってやつかな?
奈央  ‥‥‥。

      しばしの間。
      唯は猫をあやしている。

奈央  ‥‥‥。
唯   奈央ちゃん、どうしたの? なんか不審そうな顔をしてるけど。
奈央  ‥‥別に。
唯   ああ、あれか。‥‥それで、どうして浮気調査して、慰謝料を取るのかってことかな?
奈央  ‥‥いえ‥‥はあ‥‥まあ。
唯   それねぇ‥‥話してあげてもいいんだけどねぇ。‥‥かなりややこしくて長くなるし‥‥奈央ちゃんにわかってもらえるかなあ‥‥。
奈央  ‥‥‥。
唯   すっごく簡単に言っちゃうとね、私は自由に生きたいの。でもさ、自由に生きるにはお金がいるの。だから、慰謝料が必要なの。‥‥わかる?
奈央  え‥‥。
唯   やっぱり、これじゃわかんないよねぇ。‥‥じゃあさ、これも、ついでに大人の事情ってことにしちゃダメ?
奈央  ‥‥‥。‥‥はあ。
唯   あら、お定ちゃん、ごちそうさまかな? お水飲む?

      唯、エサ皿を持って去る。
      一人残される奈央。

奈央  ‥‥‥。

      奈央、窓の外を見る。
      暗転。

      テーブルとイスとソファ。
      美咲と洋子が座っている。
      美咲は、ノートを見ている。

美咲  ‥‥ふーん。(ノートをめくりながら)
洋子  ‥‥ごめんね。ろくなのがなくて。
美咲  ‥‥ふーん。(ノートをめくりながら)
洋子  これでも、いろいろ探してみたのよ。‥‥でもさ、この業界も、すっごい不況だからさ。
美咲  わかってるよ。‥‥ありがとう。感謝してる。
洋子  ‥‥言い訳みたいになっちゃうけどさ‥‥正直、私自身も、食べてくのが精一杯な感じでさ。‥‥ごめん。
美咲  ‥‥それにしても、ほんと、まともなライターの仕事ってないんだねぇ。‥‥まあ、贅沢言っちゃバチが当たるよね。‥‥仕事選んでたら、飢えて死ぬもんね。
洋子  ‥‥そうだね。
美咲  ‥‥アハハハ。

      しばしの間。
      美咲はノートを見続けている。

美咲  ‥‥これなんか、どうかな?
洋子  え? どれ?
美咲  これ。
洋子  あ、それは全然お勧めしない。一応メモしてみただけ。
美咲  でもさ、ギャラはけっこういいじゃん。
洋子  そりゃ、そうだけど‥‥ゴーストライターなんて、ライターの仕事じゃないよ。
美咲  これ‥‥アポ取ってみようかな?
洋子  え‥‥マジ?
美咲  ‥‥うん。‥‥ゲームみたいな感じで、案外おもしろいかもよ?
洋子  ‥‥かなあ?
美咲  とりあえず、つなぎよ、つなぎ。何も、これ一本で食って行こうってわけじゃないんだから。
洋子  ‥‥でもねぇ。
美咲  何よ? あなたが持ってきた仕事じゃない?
洋子  ‥‥それは‥‥そうなんだけどさあ‥‥。
美咲  まあ、他にも探しながら、これもやってみる‥‥ということで。
洋子  ‥‥‥。じゃあ‥‥好きにすれば?
美咲  ‥‥うん。

      しばしの間。

美咲  ‥‥思えば、あの頃は夢があったねぇ。
洋子  え?
美咲  学生時代。
洋子  ‥‥ああ。
美咲  サークルの地下の狭い部屋で、議論したり、喫茶店でコーヒー一杯で夜中までねばったりしてさ‥‥。
洋子  ‥‥そうだね。
美咲  洋子は、群像新人賞取るんじゃなかったっけ?
洋子  そういう美咲こそ、江戸川乱歩賞取って、それから直木賞なんて、壮大な計画立ててたじゃん。
美咲  ‥‥だったよねぇ。
洋子  ‥‥うん。
美咲  ‥‥でも、聞くと見るとでは大違い。‥‥現実はきびしゅうござんすねぇ。
洋子  それでも、美咲は偉いと思うよ。今でも小説書いてるんだから。
美咲  ただ書くだけなら、誰でもできるよ。
洋子  ううん。そんなことないよ。‥‥私なんか、さっさとあきらめて、フリーライターになっちゃったもん。
美咲  私は往生際が悪いだけだよ。‥‥おかげで、食うや食わずの貧乏暮らしだから。
洋子  私だって、似たようなものよ。

      しばしの間。

美咲  ‥‥今でも書いてる子って、どのくらいいるんだろう?
洋子  さあ? ほとんどいないんじゃない?
美咲  恵はすぐに結婚しちゃったし、由紀子はOLだし‥‥。
洋子  高田君は不動産会社で、佐野君は予備校でしょ?
美咲  石橋君は?
洋子  さあ? ‥‥高校の先生じゃなかったっけ?
美咲  そうだっけ?
洋子  うん‥‥たぶん。
美咲  そっかあ‥‥。

      しばしの間。

美咲  ‥‥そう考えると、曲がりなりにも書いてるのは、私たちだけなのかなあ?
洋子  そう、曲がりなりにね。
美咲  それにしても、ずいぶん、曲がっちゃいましたなあ。
洋子  だよね。
二人   アハハハハ。

      しばしの間。

美咲  ‥‥ねぇ、洋子。
洋子  え? 何?
美咲  ドリームズカムトゥルーって信じる?
洋子  え? ドリカム?
美咲  じゃなくって‥‥英語のことわざ。「夢は必ずかなう」。
洋子  ああ‥‥そっちの方ね。
美咲  うん。
洋子  うーん‥‥どうかなあ?
美咲  ‥‥私ね、ずっと信じてたの。
洋子  ふーん。
美咲  ‥‥でも‥‥この頃、かなり自信がなくなってきてる。
洋子  え?
美咲  ‥‥もう、そろそろ潮時なのかなあってね。
洋子  え? 何言ってるの?
美咲  ‥‥‥。
洋子  あなたはね、私たちの希望の星なのよ。最後の希望の星。
美咲  え? ‥‥慰めはいいわよ。
洋子  ううん、慰めなんかじゃないよ。‥‥あなただけは書き続けなきゃダメ。
美咲  ‥‥ほんとに、そう思ってる?
洋子  当たり前じゃないの! ‥‥じゃなかったら、応援なんかしないわよ。
美咲  ‥‥‥。ほんと?
洋子  ‥‥うん。ほんと。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥ありがと。‥‥励ましでもうれしい。
洋子  だから、励ましでも、慰めでもないって!
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥だから、あなたはがんばらなきゃダメなのよ。‥‥これは義務なんだから。‥‥わかってる?
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥ほんとなんだからね。
美咲  ‥‥‥。
洋子  ‥‥わかってる?
美咲  ‥‥希望の‥‥星‥‥か。
洋子  うん。
美咲  ‥‥ずいぶん、くすんだ星だよね。
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥じゃあ‥‥お言葉に甘えて‥‥
洋子  ‥‥‥。
美咲  ‥‥もうちょっと、がんばってみますか?
洋子  ‥‥うん。
美咲  ‥‥‥。

      暗転。

      街中。
      唯が立っている。
      あたりを見回している。
      時計を見る。
      やがて携帯電話を取り出す。
      しばらく迷っているが、意を決して電話をかける。

      携帯の着信音。

      美咲の姿が浮かび上がる。

美咲  もしもし。
唯   え?

      唯、あわてて、電話を切る。
      美咲、消える。

      しばしの間。

      唯、メモを取り出し、それを見ながら、再び電話をかける。

      携帯の着信音。

      再び美咲が現れる。

美咲  もしもし。
唯   え? ‥‥あの‥‥あなたは、どなたですか?
美咲  ‥‥あなたは、どなたですか?
唯   え? ‥‥あの‥‥マユミですけど。
美咲  ‥‥マユミさん?(少し笑う)
唯   え‥‥ええ。‥‥あの‥‥これ‥‥タカちゃんさんの電話じゃないんですか?
美咲  ‥‥‥。
唯   あの‥‥もしもし?
美咲  ‥‥そうです。タカちゃんです。
唯   え? ‥‥だって。‥‥あの、あなたは誰なんです?
美咲  だから、タカちゃんです。
唯   え? ‥‥いいえ、そんなはずはないわ。‥‥あなたは誰なんです? ふざけてないで、タカちゃんを出して下さい。
美咲  だから、私がタカちゃんです。
唯   あなた、女の人でしょう?
美咲  ええ。
唯   じゃあ、タカちゃんじゃないじゃありませんか!
美咲  ‥‥でも、タカちゃんなんですよ。
唯   だから、ふざけないで! 早く、タカちゃんを出しなさいよ!
美咲  ‥‥別にふざけてませんよ。‥‥だから、私がタカちゃんなんですから。
唯   もう、いいわ!

      唯、電話を切る。
      美咲、消える。

      長い沈黙。
      唯が考えている。

      唯、再び電話をかける。

      携帯の着信音。
      美咲、現れる。

美咲  もしもし。
唯   あなた、タカちゃんの何なの? 彼女? 愛人?
美咲  ‥‥‥。
唯   黙ってないで、答えなさいよ。
美咲  ‥‥タカちゃんです。
唯   ふざけないでって言ってるでしょ! 正直に答えなさいよ。目星はついてるんだから!
美咲  ‥‥目星? ‥‥どんな目星なんですか?
唯   だから、おふざけはもういいって言ってるでしょ!
美咲  だから、ふざけてなんかいませんよ。
唯   もう! いいかげんにしてよ!
美咲  何か、勘違いをされてるようですね。

      舞台全体に明かり。
      唯、美咲に気づく。

唯   !
美咲  ‥‥初めまして。
唯   え‥‥。
美咲  私が、タカちゃんです。
唯   ‥‥‥。

      しばしの沈黙。

唯   ‥‥あなた。‥‥いい度胸してるわね。
美咲  ‥‥‥。
唯   どういうつもりなの?
美咲  ‥‥‥。
唯   ねぇ、黙ってないで、何か言いなさいよ!
美咲  あなたは勘違いをなさってますよ。‥‥私は、タカちゃんの彼女でも、愛人でもありません。
唯   じゃあ‥‥じゃあ、あなたは何なのよ?
美咲  私は、タカちゃん‥‥という名のゴーストライターです。
唯   ‥‥ゴーストライター
美咲  ‥‥ええ。
唯   ‥‥そ、それは、どういうことなの?
美咲  まあ、ゴーストというのですから、幽霊みたいなものですね。
唯   え‥‥。
美咲  驚かれるかもしれませんが、タカちゃんという人は、この世には存在しないのですよ。
唯   え‥‥そんな‥‥。ウソでしょ?
美咲  いいえ、それは事実なのです。
唯   そんな‥‥。

      しばしの沈黙。

唯   ‥‥あなた、何を言っているの? ‥‥それは、いったいどういうことなの? ‥‥わけがわからないわ。
美咲  簡単にご説明しますと、私は、頼まれたのです。
唯   え?
美咲  タカちゃんという名前で、しばらくあなたと付き合っていてほしいと。
唯   頼まれたって‥‥いったい誰に?
美咲  依頼人は、存じ上げません。
唯   そんなのおかしいじゃないの! だって、あなたが頼まれたんでしょう?
美咲  直接に私が依頼されたわけではないんです。私はただのアルバイトですから。
唯   ‥‥アルバイト?
美咲  はい。とある探偵社に雇われたアルバイトのゴーストライターです。
唯   探偵社?
美咲  はい。
唯   ‥‥探偵社って‥‥それ、どういうこと?
美咲  ‥‥‥。
唯   ‥‥じゃあ‥‥じゃあ、私が夫に隠れて浮気をしていたとでも言うの?
美咲  ですから、詳しい事情は私にはわかりません。私は、ただのアルバイトですから。
唯   そんな馬鹿な! ‥‥これ、いったい、どうなっているの?
美咲  さあ‥‥。
唯   ねぇ、答えてよ! これはどういうことなの? おかしいじゃないの? ミクシィで浮気していたのは夫の方なのよ!どうして、私が探偵に調査されなきゃならないの!
美咲  ‥‥‥。
唯   どうして黙ってるのよ! ねぇ、答えなさいよ!
‥‥だって、そんなのあり得ないじゃない? 私がミクシィを始める前から夫は浮気していたんだし、私がミクシィを始めた時には、既にタカちゃんは存在していたわ。ねぇ、そうでしょう?
美咲  ‥‥‥。
唯   ねぇ、何とか言ってよ!
美咲  ‥‥‥。
唯   ねぇったら!
美咲  ‥‥‥。
美咲  ですから‥‥私にはわかりません。
唯   ‥‥‥。そんなこと‥‥あり得ないわ。‥‥ねぇ?
美咲  申し訳ありませんが、私には‥‥。
唯   ‥‥‥。

      唯、呆然と立ち尽くす。

      暗転。

      ソファに唯が座って、携帯を見ている。(サス明かり)

唯   空に一本の飛行機雲。
 雲の白が空の青ににじんで行く。
 ゆっくりとゆっくりと。
 その先端には銀色の光が、
 夕日の赤に突きささる。
 一瞬のきらめきを残して溶けて行った。
 そして、空の青も雲の白も
 深い夕闇に溶けて行った。
 そして、夜。
 そして、今日も僕はひとりぼっち。
 夜の闇にも街の明かりにも、
 どこにも溶け込める場所はない。
 どこにも隠れる場所もない。
 ねぇ、かくれんぼしましょ
 鬼さんこちら
 手のなる方へ

唯   ‥‥どうしてまだ日記があるのよ? タカちゃんはいないって言ったじゃないの? ‥‥それじゃ、誰が書いてるの?何のために書いてるのよ? 誰に向かって書いてるのよ?
‥‥わけがわからないわ。‥‥これは、何のつもりなの? ‥‥何が目的なの?
‥‥何だか恐い。
‥‥あなたは私を見てるの? どこにいて、何をしてるの?‥‥ねぇ、あなたは誰なの? ねぇ、答えなさいよ。‥‥ねぇ、お願いだから、答えてよ!

      唯、消える。
      美咲が現れる。パソコンを打っている。(サス明かり)

美咲  僕は、小さな星の砂です。君が夏に置き忘れた星の砂です。青いガラス瓶の中で、打ち寄せる波に揺られています。サラサラ、サラサラ。もう帰ってはこない夏の思い出に揺られています。サラサラ、サラサラ。もう忘れたことさえ忘れた君を待っています。元気だったら、手紙を下さい。もう、君の香りさえ忘れてしまいそうだから。
追伸。僕はもうすぐ旅に出ます。遠い遠い旅です。波に揺られて、はるかな旅です。もしもアメリカあたりの浜辺に着いたら、きっと君に手紙を書きます。だから、元気だったら、返事を下さい。

      美咲、消える。
      唯が現れる。携帯電話を見ている。(サス明かり)

唯   マユミです。お久しぶりです。この間、変な女に会って、変なことを言われました。その女は、タカちゃんなんていないよって言うんです。そんなのウソですよね。だって、あなたは日記を更新してるし、私のページに足跡だって残しているから。
だから、こんなメールを送っても、気を悪くしないでね。
でも、何だかこの頃不安なんです。ほんとは、あなたに会いたいです。でも、会うのが無理なら、メールだけでもいいです。どうか返事を下さい。ほんとに短いメールでいいんです。
なんだか、とてもさびしいんです。
こんなメールを送っても、重たい女だと思わないで下さいね。
わがまま言ってごめんなさい。

唯   送信。(携帯のボタンを押す)
‥‥お願いします。

      様々な携帯の着信音が鳴り響く。
      混乱した明かり。

      美咲が現れる。
      パソコンを打っている。(サス明かり)

美咲  このあて先へのメッセージはエラーのため送信できませんでした。
送信先メールアドレスが見つかりませんでした。メールアドレスをご確認の上、再送信してください。

      美咲、消える。
      唯が現れる。携帯メールを打っている。(サス明かり)

唯   あなたはどこにいるの?
 あなたは何をしているの?
 あなたは誰なの?
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。
 さみしいです。

      唯、消える。
      美咲が現れる。パソコンを打っている。(サス明かり)

美咲  ワタシハカモメ。ワタシハカモメ。‥‥どこから来てどこへ行くのか。大空をさすらうひとりぼっちのカモメ。迷子になってしまったひとりぼっちのカモメ。

      美咲、消える。
      唯が現れる。携帯メールを打っている。(サス明かり)

唯   最後に一つだけ教えて下さい。
 お願いだから教えて下さい。
 あなたは誰ですか?
 あなたは誰ですか?
 あなたは誰ですか?
 あなたは誰ですか?

 私は誰ですか?

      様々な携帯の着信音が鳴り響く。
      混乱した明かり。

      女(奈央・洋子)が現れる。(サス明かり)

女   このあて先へのメッセージはエラーのため送信できませんでした。
送信先メールアドレスが見つかりませんでした。メールアドレスをご確認の上、再送信してください。

唯(サス)   奈央ちゃん。
美咲(サス)  洋子。

女   ‥‥申し訳ありませんが、私は、そのような名前ではありません。
唯・美咲  え?
女   私は‥‥私です。
唯・美咲  え?
女   私は‥‥私なのです。
唯   奈央ちゃん‥‥。
美咲  洋子‥‥。
女   ‥‥何か、勘違いをなさっていませんか?
唯・美咲  ‥‥‥。
女   あなたたち、人生にエラーコードが出ていますよ。
唯・美咲  え?
女   もう一度ご確認の上、再送信して下さい。
唯・美咲  ‥‥‥。

      女、去ろうとする。

唯   ちょっと!
美咲  待って!

      女、振り返り、少し笑う。

女   さみしいのはあなただけではないんです。
唯・美咲   え?

      しばしの間。

女   あなたは誰ですか?
唯・美咲   え?

      しばしの間。

女   ‥‥こんなところで立ち話も何ですから、お茶でもしませんか?
唯・美咲   え?

      女、消える。
      立ち尽くす唯と美咲。

      音楽。「夢の中へ」井上陽水

      探しものは何ですか
      見つけにくいものですか
      カバンの中も机の中も探したけど見つからないので
      まだまだ探す気ですか
      それより僕とおどりませんか
      夢の中へ 夢の中へ
      行ってみたいと思いませんか

                              おわり