Blue ~たゆたう僕達の時間~

【これは、劇団「かんから館」が、2004年8月に上演した演劇の台本です】

「僕はひとりぼっちなんです。僕がもし、明日いなくなっても誰も気づかないんです。何もなかったように、平凡な毎日が続いてゆくんです。」
「空が空でなくなるあたり、青が青でなくなるあたりで、溶けるように静かに消えてゆければしあわせだろうなと、そう思うんです。」
「そこにあなたがいてほしいんです。」
あるフリーターの青年が、自分の「存在理由」を求めて、さまよう。
その「自分探し」の旅が、山道での愛の逃避行と重なり、二重構造的に物語が展開してゆく。
併せて、崩壊してゆく家庭や、引きこもり、出会い系サイトなどの社会事象が、物語に陰影を加える。

      〈登場人物〉

       青年1・澤田広志
       青年2・シュウ(広志の母の愛人)
       坂下由紀
       老人
       女1・広志の祖母(澤田和代)
       女2・広志の母(澤田加世子)
       女3・広志の姉(澤田ひろみ)


  とある山。とある夏。
  T字型に分かれている山道。その分かれ目に大きな切り株がある。
  セミがうるさく鳴いている。
  リュックサックに帽子姿の、ハイカー風の青年が山道を登ってくる。かなり息切れしている様子。

青年1  あつ。

  青年1は、切り株にすわりこみ、しきりに汗をふく。
  それからリュックから地図を取り出して、うちわがわりにあおぐ
  しばらくして、やけに明るい歌声が聞こえてくる。

青年2  ジャンボリー、ジャンボリ、ジャンボリー、ジャンボリ、ジャンボリー、ジャンボリ、ヤ、ハハハハハハハ。
青年1  遅いぞ。何やってんだよ?
青年2  ヤ、ハハハハハハハ!
青年1  ん?
青年2  これ。(青年1の前に手を突き出す)
青年1  ん?
青年2  どんぐり。(手を広げる)
青年1  ん?
青年2  どんぐり!
青年1  ああ。
青年2  山ん中で、そんなもん聞くなよ。
青年1  ん?
青年2  これ!(と、青年1のイヤホンをはずす)
青年1  何すんだよ。
青年2  山の中では山の音を聞け!

  さわやかに空を見上げる青年2。
  つられて青年1も空を見る。
  ミーン、ミーンとセミの声。

青年1  暑いよ。
青年2  そうか?
青年1  全然さわやかじゃないよ。
青年2  そうか?(指にツバをつけて空にかざす)
     さわやかだ。風も吹いてる。
青年1‥‥‥。

  青年2、切り株にすわる。

青年2  ジャンボリー、ジャンボリ、ジャンボリー‥‥。
青年1  何だよ、その歌?
青年2  国際ジャンボリーの歌。知らない?
青年1  知るか。何だよ、それ?
青年2  世界中のボーイスカウトが集まるイベントがあって、そこのテーマソング。
青年1  ボーイスカウトやってたの?
青年2  いや、カブスカウト。小学校五年までやってた。
青年1  何それ?
青年2  ボーイスカウトは十一歳以上でさ、それまではカブスカウトって言うの。
青年1  へぇ。何が違うの?
青年2  ま、おんなじようなもんだけどね。服とかがさ、ちょっと違うんだよ。
青年1  ふーん。
青年2  ジャンボリー、ジャンボリ‥‥
青年1  その歌やめてよ。頼むから。
青年2  なんで?
青年1  気持ち悪いよ。‥‥オレ、だいたいボーイスカウトとかワンゲルのやつとか苦手なの。
青年2  え、どうして?
青年1  なんか、大昔の若者がタイムスリップしてきたみたいじゃん。
青年2  何それ?
青年1  すぐに肩とか組んで歌とか歌いそうじゃん。「アルプス一万尺」とかさ。
青年2  そうか?
青年1  それに、妙に明るくて、妙にニコニコしてて、妙に礼儀正しくて、妙に元気なんだよね。
青年2  なんで妙にだよ?
青年1  なんかワザとらしいんだよ。「こんにちわ!マクドナルドへようこそ!」じゃないんだぜ。‥‥それにさ、歩いたりすんのがやたら好きなくせに、あいつらみんなひよわな感じなんだよな。
青年2  ‥‥そういえば‥‥そうかな。
青年1  だろ? それで、いつもじみーで目立たないやつがさ、遠足とかキャンプの時だけやたらとはりきるわけよ。火つけんのがやけにうまかったりして。それで、ジッポのオイルとか変なアイテム持って来たりしてさ、女の子のとこ行って火つけまくんの。それで、女の子に「わーすごい!」とか言われて喜んでやんの。いじましいよねぇ。
青年2  ‥‥‥。
青年1  あ、おこった?
青年2  別に。‥‥オレ、そんなにボーイスカウト好きだったわけでもないし。
青年1  ‥‥何でやめたの?
青年2  引っ越したから。五年の時。
青年1  ふーん。

  少し気まずい間。
  相変わらずのセミの声。

青年1  何でやってたの? その‥‥
青年2  カブスカウト
青年1  うん。
青年2  ちっちゃい頃、体弱くてさ。喘息だったんだよね。それで、ちょっときたえろって親に入れられて。
青年1  へぇ、そうなの。
青年2  うん。

  やはり気まずい間。
  セミが鳴き続ける。

青年1  やっぱり、暑いよ。
青年2  ‥‥そうだな。
青年1  のどかわいたな。‥‥かわかない?
青年2  ああ、ちょっと。
青年1  水筒持ってたよな。
青年2  ああ‥‥全部飲んじゃった。
青年1  えー、何それ? そういうのはきちんとキープするんじゃないの?
青年2  ‥‥だから、オレ、ボーイスカウトじゃないから。
青年1  ああ、カブスカウト
青年2  違う! ‥‥さっきの自販のとこでジュース買ってくるよ。
青年1  え、けっこう遠いぜ。
青年2  十分もあれば行けるだろ。何にする?
青年1  ‥‥おこんなよ。意地になってるだろ、お前?
青年2  なってないよ。何?
青年1  アミノサプリ
青年2  オッケー。ここで待ってろよ。
青年1  悪いな。

  青年2、山道を下りて行く。

青年2  燃焼系、燃焼系、アミノ式。燃焼系、燃焼系‥‥。
青年1  アミノサプリだって!
青年2  わかってる、わかってる。アミノ式だろ?

  残される青年1
  セミの声。
  青年1、再びイヤホンを耳につける。
  しばしの間。
  やがて調子っぱずれな歌声が聞こえてくる。
  妙な老人が、杖をつきながら山道を登ってきた。

老人   いーのちーみじーかしー、こいーせよおとめー。あーかきーくちーびるー、あーせぬーまにー。
青年1  えっ?

  セミが鳴いている。

青年1  ‥‥‥。
老人   暑いのお。
青年1  ‥‥‥。
老人   暑いのお。
青年1  ‥‥‥。
老人   君は耳が遠いか?
青年1  え?
老人   暑いのお‥‥と言っておる。
青年1  ‥‥はぁ。暑いですね。
老人   ちっともさわやかではない。
青年1  ‥‥はぁ。
老人   と思うとるじゃろ?
青年1  え?
老人   心頭滅却すれば火もまた涼し!
青年1  ‥‥‥。(どうしていいのかわからない)
老人   そんなバカな、と思うとるじゃろ?
青年1  え‥‥いえ。
老人   然り! そんなわけはない。火は熱いから火である!そうじゃろ?
青年1  はぁ‥‥。(独り言風に)あいつ‥‥遅いな。

  青年1立ち上がり、時計を眺めるしぐさ。
  セミがミーン、ミーン。

老人   いやなジジイにつかまったな。
青年1  ‥‥‥。
老人   と、思うとるじゃろ?
青年1  え。
老人   じゃがな、年寄りの話は聞いておくものだ。なんとなれば、年寄りはさみしい。‥‥なぜだかわかるかな?
青年1  え?
老人   生きることはさみしい。死ぬのはもっとさみしい。さみしいから生きる。生きればもっとさみしくなる。‥‥その耳栓、はずさんか?
青年1  え? ‥‥あ、すいません。(思わずイヤホンをはずす)
老人   ほら、セミが鳴いとるじゃろ?

  ミーン、ミーン、ミーン‥‥。

老人   ‥‥セミは七年間も地面の中にじいっとしておる。ようやくのことでお天道さんをあおいだと思うたら、わずか七日で死ぬ。‥‥君はこれをどう思うか?
青年1  ‥‥はかないですよね。
老人   そう思うか‥‥。君はまだまだ若いな。
地中にいるのがかわいそうなどと言うのは、余計なお世話じゃ。なんとなれば、セミはもともと地中の虫なのじゃ。地表に出てくるのは、くたばりかけの老人ゼミが、死に場所を求めておるにすぎん。‥‥じゃが、死ぬのはさみしい。さみしいからミーン、ミーンと泣きわめく。じたばたする。‥‥泣いたところでどうなるものでもなし。愚かなことよ。カーッ!
青年1  わっ!

  セミが鳴きやむ。

老人   ペッ。(とタンを吐く)

  しばらくして、またセミが鳴き始める。
  ミーン、ミーン‥‥。

老人   カーッ!

  またセミが鳴きやむ。

老人   ペッ。

  またセミが鳴き出す。
  ミーン、ミーン‥‥。

老人   君は、迷うておるな。
青年1  え?
老人   人生に迷い、道に迷い、大いに迷うがよい。
青年1  ‥‥‥。
老人   して、何に迷うておる? 恋かな? 仕事かな? 人生かな?
青年1  いえ、別に‥‥。
老人   とりあえずは道じゃな。‥‥ここは分かれ道になっておる。じゃのに道しるべの一つもない。なぜだかわかるか?

  そういえば、何もない。

青年1  ‥‥さあ?
老人   わしが捨てたからじゃ。
青年1  へ?
老人   そこの草むらに棒くいがあるじゃろ?

  青年1、草むらを見る。

青年1  あ。(本当に棒くいがあった)
老人   その先に道しるべがついておったがな、わしが捨てた。
青年1  ‥‥どうして?
老人   迷うためじゃ。人間迷わねばならんて。
青年1  ‥‥‥。
老人   ありとあらゆる所におせっかいな道しるべが立っておる今の世の中じゃ。たまには迷うて自分で道をさがすのもよかろう。
青年1  そんな‥‥。
老人   じゃが、これもまた、いらぬおせっかいかもしれんな。ワッハハハハ‥‥カーッ! ペッ。
青年1  ‥‥‥。
老人   さて、そろそろわしは行かねばならぬ。
青年1  あ‥‥そうですか。(思わずホッとする)
老人   杜子春よ。
青年1  ?
老人   わしの留守の間に、様々な悪しき者どもがお前をたぶらかしに来るであろう。
青年1  ‥‥‥。
老人   じゃが、それは全てまぼろしじゃ。お前はそれに耐えねばならん。
‥‥杜子春よ、お前にそれができるか?
青年1  あのぅ‥‥僕、そういう名前じゃないんだけど‥‥
老人 ん?
青年1  とししゅん‥‥。
老人   杜子春よ、これからお前のまわりには、どんなに恐ろしいことが起こるやも知れぬ。じゃが、決して泣いてはならぬぞ。‥‥お前にそれができるか?
青年1  あのぅ‥‥。
老人   できるか?
青年1  杜子春だったら、声を出したらダメだって言うんじゃないの?(少し腹が立ってきた)
老人   何を聞いておる。そんなことでは仙人にはなれんぞ。
青年1  ‥‥‥。(そんなの誰も言ってないじゃん)
老人   よいか。わしが戻るまで、何があっても決して泣いてはならんぞ。
青年1  ‥‥‥。
老人   よいな!
青年1  どーしてですか?
老人   ふむ。‥‥聞きたいか?
青年1  いえ‥‥別に‥‥。
老人   それはな‥‥さみしさを抱え続けるためじゃ。泣くということはな、生きるさみしさを忘れるために人間が身につけた方便じゃ。じゃが、そこから逃げておったのでは、本当のさみしさを知ることはできん。本当のさみしさを知らねば、本当に生きることはできん。
どうじゃ、わかったか? わからんであろうな。だから修行するのじゃ。

  セミが、ミーン、ミーン‥‥。

老人   くたばりかけたセミは泣いてもよい。しかし、お前はまだまだダメじゃ。‥‥杜子春よ、わかったな。約束だぞ。ワッハハハハ‥‥。

  老人立ち上がり、山道を降りていく。

老人   いーのちーみじーかしー、こいーせよおとめー。
     カーッ! ペッ。

  老人は去った。
  セミは鳴き続ける。
  青年1、切り株にすわる。

青年1  何が約束だよ。‥‥何だよ、あれ。

  青年1、再び切り株に戻り、音楽を聴き始める。
  しばらくして、セミの声に混じって鈴の音がする。
  やがて陰気な歌が聞こえてくる。
  どうも御詠歌のようだ。
  巡礼姿の三人の中年女性がやってくる。

三人   しーらーばーやーなー
     いーきーてーはーわーかーるるー
     さーだーめーとーてー
     いーづーれーかーしーげーるー
     よーしーあーしーのーはーらー

  三人の女、道ばたにすわりこむ。

女1   あー、しんど。
女2   しんど。
女3   あーあ。
女1   お兄ちゃん、暑いねえ。
青年1  え‥‥ああ、暑いですねぇ。
女1   山やったら、もうちょっと涼しいかと思たけど。
女2   風もないしなあ。
女3   そやけど、あんた、これでも四国よりはましやで。去年、金比羅さん行った時な、むちゃくちゃ暑て、日射病でいっぱい倒れてん。山田さんとこのおばあちゃん、あの時から具合悪なってしもて、寝たり起きたりやろ?
女1   え? 山田さんとこて、もう八十越えたはんのちゃうの? 歩いて行かはったん?
女3   あほな。バスやて。
女1   バスやったら、冷房あるやん。
女3   あそこな、駐車場降りてから階段のぼって、それがけっこうあるねん。
女2   うん、あるある。
女1   へぇ、そうなん?
女3   あんた、金比羅さん行ったことないの?
女1   金比羅さんはないわ。
女3   そらあかんわ。いっぺん行かな。なんやな金比羅歌舞伎いうてな、お芝居も見られんねんで。
女2   そや、けっこう本格的やで。NHKのテレビでもやってたわ。
女1   ほんま?
女2   たしかお昼の‥‥昼時なんとかちゅうのでやってたわ。なんとかなんとかちゅう若い子がレポーターしとったで。
女1   ひるどき日本列島?
女2   ああ、それ、それ!
女3   あほ。あれは、去年で終わったで。いつの話してんの?
女2   え、そやったん? ‥‥まあええやん。それでな、その、なんとかなんとかちゅう子がな‥‥
女3   なんとかなんとかってなんやねん? 全然わからへんやん。
女2   もう、ちょっと、忘れただけやん。ほれ、時々テレビショッピングとか出てる‥‥。うただひかる?
女3   あほ。宇多田ひかるがテレビショッピングするかいな。
女1   へえ、あんた、テレビ詳しいんやなあ。
女3   そんなん、常識やで。
女1   うちら、若い子いうたら氷川きよししかわからんわ。
女3   そんなんいうてたら早よボケるでえ。ちゃんとテレビは見とかんと。
女1   へぇ、そんなもんやろか。テレビ見んとボケるか?
女3   ボケる。ボケる。ためしてガッテンでも言うとったわ。
女1   へぇ、そうかあ‥‥。それにしても暑いなあ。なあ、ジュースあったやろ?
女2   うん、あるある。(と、ジュースを取り出して)はい。
女1   なんやのこれ?
女2   アミノ式。宣伝でやってるやん。なんか中国の曲芸師みたいなんが、グルグル回ったり、ピョンピョンはねたりしてるやつ。燃焼系、燃焼系、アミノ式って。
女1   あんた、そういうの好きやなあ。宣伝に乗せられて、ええお客さんやで。
女3   (飲んで)うわ、これなんなん?‥‥塩の入ったカルピスみたいやん。
女2   あ、ほんまや。‥‥しゃあないやん。贅沢言わんときよし。
女3   他のないの?
女2   ない。
女3   え、これしかこうてへんの?
女2   うん。
女3   あんた、何考えてんの?
女1   ‥‥なあ、お兄ちゃんにもあげたら?
女3   え?
女1   そこにすわってるお兄ちゃん。
女3   ああ。
女1   若い人やったら、口に合うかもしれんし‥‥。
女2   ああ、そやな。‥‥お兄ちゃん、飲む?
青年1  え?
女2   ジュース。余ってるんやけど。
青年1  ‥‥ああ、いただきます。
女3   あたしのあげよか? ひと口しか飲んでへんし。
女1   あほ。そんな飲みさしあげられるかいな。
女2   ほんま、おばさんはかなんねぇ‥‥そやからオバタリアンて言われるんやで。ねぇ?(と、青年1に同意を求める)
青年1  え‥‥。
女3   あんたかて、おばはんやん。残したらもったいないやん。
女2   ほなら飲みいな。重いの辛抱して持ってきたんやから。

  三人、アミノ式を飲む。青年1も飲む。
  相変わらずセミが鳴いている。

女1   お兄ちゃんも、お遍路さんか?
青年1  え?
女3   あんた、あほか。こんな若いのにお遍路さんなんかするかいな。ハイキングやわなぁ?
青年1  え? ‥‥ええ、まあ。
女3   ほーら。
女1   若ても、お遍路さんしたかてかまへんやん。そんなんに若いも年寄りもないやん。
女2   そら、そうや。
女1   わたし、三十三の時、三十三所参りしたんやで。
女3   なんやのそれ。数字のゴロ合わせかいな?
女1   ちゃうて。二人目と三人目の子、流産してしもてな。おばあちゃんがお参りしときって言わはって。
女2   それ、直美ちゃんの下の子かいな?
女1   そや。‥‥やっぱし男の子がおらんとな。
女2   そやけど、直美ちゃん一人っ子やろ?
女1   うん。‥‥お医者はんがな、もうやめとき言わはってな。‥‥なんや、もともと子宮の出口のへんの具合が悪かって、それが、直美の時えらい難産でな、その時に傷になってしもたらしいわ。それで流産したんやって言わはるし‥‥。しゃあないし、あきらめたわ。
女3   女の子だけの方がええよ。ウチなんか、野郎ばっかり三人やろ? 
図体ばっかりでこうて、何の役にもたたへん。休みの時なんか、ウチの人と合わせて四人でゴロゴロゴロゴロ。見てるだけでうっとうしいわ。
女1   でも、男やったら、力もあるし、いざという時心強いやん。
女3   あんた、そんなことあるかいな。この頃の男いうたら、女よりよっぽど根性ないで。偉そうに文句ばっかり言うて、なんもでけへん。
女1   そーか。
女3   そやて。
女2   お兄ちゃん、そんなことないわなあ?
青年1  え‥‥。
女3   うるさいおばちゃんらでかなんなあ? せっかくのんびりしてんのに‥‥。大学生?
青年1  ええ‥‥まあ。
女3   どこの大学? 東京大学やったりして。
青年1  あ‥‥。
女2   そんなん聞いたらあかんよ。プライバシーの侵害やで。
女3   別に聞くぐらいええやん。なあ?
青年1  あの‥‥フリーターなんです。
女3   あ‥‥。
女2   なあなあ、フリーターって何?
女3   あんた、そんなんも知らんの? フリーアルバイターのことやて。
女2   ああ、まともに就職もせんとブラブラしてる人?
女3   しっ! 聞こえるやろ! ‥‥ごめんな。気悪うせんといてな。
青年1  いえ、別に。
女2   かんにんえ。‥‥大変やねぇ。しっかりしてそうな顔したはんのになあ。
女3   そういう言い方するもんちゃうて。
青年1  いや、いいですよ。
女1   やっぱし、大学行かしといたらよかったんかなあ‥‥。
青年1  え?
女1   学歴ないと、就職言うてもないやろしなあ‥‥。
女2   お母ちゃん。そんなこと今さら‥‥。
青年1  え‥‥。

  にわかに夜の室内になる。
  女3、部屋の隅に移動してノートパソコンを取り出す。

母(女2)  大学出ても、不況だから簡単には就職できないわよ。
祖母(女1)  それやったら、出てへんかったらよけいにしんどいんちゃうんか?
母    それに、広志のはそんなんじゃないから。
祖母   え?
母    だから、広志は、好きで就職しないのよ。

  女3、黙ってキーボードをたたいている。
  母、女性雑誌を取り出して読み出す。

祖母   そんな‥‥好きで就職せえへんなんか、あるかいな。なあ?
広志(青年1) ‥‥‥。
母    お母ちゃん、話、聞いてたの?
祖母   聞いてるがな。
母    いったい何聞いてたのよ? ‥‥じゃあ、そこにいる本人さんに聞いてみたら?
広志   ‥‥‥。
祖母   なあ、その何とかちゅうお店で、明日から来んでもええって言われたんやろ? ‥‥その、ほれ、コン、コン‥‥。
母    コンビニ。
祖母   ああ、そや。‥‥そのコンビニで、リス、リス、リス‥‥。
母    リス? ‥‥リスって何よ?
祖母   ほれ、この頃テレビでよう言うてるやんか。えーと、リス、リス‥‥。
母    もう! だから、何なのよ?
祖母   リス、リス‥‥ええっと、何やったかいな? リス‥‥。
ひろみ(女3) リストラでしょ?
祖母   それや、それや。ひろみちゃん、何でもよう知ってるなあ。
ひろみ  ‥‥‥。(キーボードを打ち続ける)
祖母   やっぱし、ひろみちゃんは、大学出てるからなあ。
広志   ‥‥‥。
母    お母ちゃん、そうやって無理して外国語使うのやめてよ。
祖母   別に無理してへんて。
母    してんじゃん。
祖母   してへんて。‥‥ええっと、それでなんやったっけ?
母    ‥‥‥。
祖母   ‥‥何の話やった?
母    ほらほら、また始まった。
祖母   なあ、加世子、いけずせんと教えてぇな。
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
母    もう、忘れたんなら、いいじゃない。
祖母   なあ、そんなこと言わんと‥‥。

  シュウ(母の愛人)が部屋に入ってくる。

母    あら、シュウちゃん、帰ってたの?
シュウ  ああ。
母    ご飯は?
シュウ  食った。
母    そう。‥‥お風呂沸いてるわよ。
シュウ  ああ‥‥そっか。(と、部屋の真ん中に座る)
母    今日は‥‥
シュウ  ん?
母    どうだった?
シュウ  全然だめだな。‥‥一万八千円。
母    負けたの?
シュウ  バーカ。
母    じゃ、いいじゃん。
シュウ  こんなんじゃ、糞の足しにもなりゃしねぇ。
母    そっか。
シュウ  ああ。

  シュウ、テレビをつける。

母    ビール、飲む?
シュウ  ああ。‥‥つまみは?
母    えーと、確か、キムチがあったんじゃ‥‥。
シュウ  それでいいや。

  母、台所へ行こうとする。

シュウ  あれ? 広志、バイトじゃねえのか?

  母、立ち止まる。

広志   ‥‥‥。
シュウ  おい、黙ってんなよ。ずる休みか?
広志   ‥‥‥。
シュウ  何だよ?
母    広志、やめちゃったのよ。
シュウ  やめた? ‥‥バイトか?
母    うん。
シュウ  何で?
母    それがさ‥‥。
シュウ  何だよ?
母    ‥‥‥。
シュウ  おい、何だよ? もったいぶんなよ。
祖母   コンビニをリストラされたんや。なあ?
広志   ‥‥‥。
シュウ  婆さんは黙っとけよ。あんたがしゃべるとややこしくなるんだよ。
祖母   そやかて‥‥。
シュウ  おい、どういうことだよ?
広志   ‥‥‥。
シュウ  何黙ってんだよ。広志、おめえオシかよ。
広志   ‥‥‥。
母    殴ったらしいのよ。
シュウ  殴った? 誰を?
母    店長。
シュウ  何で?
母    それが‥‥。
シュウ  ああ、もう親子そろってめんどくせえ奴らだな。さっさと言えよ。‥‥おい、広志。おめえのことだろ?
広志   ‥‥‥。レジが、合わなかったんだよ。
シュウ  ん? レジ? それじゃわかんねぇよ。
広志   レジの精算が一万円ちょっと合わなかったんだよ。それで、俺が取ったんじゃないかって‥‥。
シュウ  ふーん。‥‥それで、取ったのか?
母    シュウちゃん!
広志   取らないよ!
シュウ  じゃあ、問題ねぇじゃんか。
広志   ‥‥前から、精算が合わないのが何回かあったんだ。それを店長が疑ってたらしいんだ。
シュウ  それで、頭に来て、ガーンか?(殴るしぐさ)
広志   ‥‥ああ。
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
シュウ  うるせえ! ‥‥よし! それでこそ男だ。そんなやつあ、バンバン殴っちまえ。
母    シュウちゃん!
シュウ  よし、祝杯をあげようぜ。加世子、ビールだ、ビール!
母    シュウちゃん、それが、そんなに簡単じゃないのよ。
シュウ  何だよ?
母    店長から電話があってさ‥‥警察に届けるって。
シュウ  ふーん。届けたかったら、届けりゃいいじゃん。
母    シュウちゃん!
シュウ  何だよ?
母    あたし、店まで行ってさ、頭下げてきたのよ。それで、とりあえず、今日は警察の話は止めたんだけどね‥‥。
シュウ  ふーん。
母    それで、明日、父親も連れて来いって‥‥。
シュウ  父親?
母    うん。
シュウ  そんなのいねえじゃん。
母    ‥‥だから‥‥。
シュウ  え?
母    そうなのよ。
シュウ  お、俺? ‥‥そんなの、俺全然関係ないじゃん。俺は広志の親でも兄弟でもねえぜ。
母    それはわかってる。わかってるけど、ねえ、お願いだから!
シュウ  いくらお願いされても、それだけは嫌だね。それに、だいたい三歳違いの親なんて信じるわけねえだろ。
母    その話はもう言ってあるから。
祖母   ねえ、加世子‥‥。
母    え?
祖母   その話、私が代わりに行こか?
シュウ  もう! 婆さんは黙ってろよ! ‥‥俺は、ぜーたい行かねえからな。
母    シュウちゃん!
シュウ  加世子。おめーが過保護なんだよ。だいたい、広志の問題じゃんか。男だったら、てめー一人で解決すりゃいいんだよ。できなかったら、警察でもどこでも行きゃいいんだ。
母    シュウちゃん、そんなこと言わないで‥‥
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
シュウ  うるせえ!

  しばしの沈黙。

広志   ‥‥俺が行くよ。
母    え‥‥。
広志   俺が警察でもどこでも行きゃいいんだろ? それでいいんだろ?

  広志去りかける。

母    広志!
祖母   ヒロちゃん!
母    どこに行くの?
広志   ‥‥寝るよ。‥‥疲れた。

  広志、去る。

祖母   ヒロちゃん‥‥。

  気まずい沈黙。

ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。

  気まずい沈黙。

シュウ  ‥‥加世子。
母    はい?
シュウ  ビール。
母    あ‥‥は、はい。

  母、去る。

ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
シュウ  うるせえ!

  シュウ、立ち上がって、どこかに去る。
  沈黙。
  キーボードの音。
  ゆっくりと暗転。


  夏の夜。山の中。
  星がまたたいている。
  広志と少女(由紀)が、寝袋の中に入って並んでいる。
  まるで二匹のみのむしのようだ。
  みのむしは、仰向けになって星を見ている。
  虫の声が聞こえる。

由紀   ‥‥ねぇ。
広志   ん?
由紀   星がいっぱい。
広志   え?
由紀   星がこんなにたくさんあるなんて知らなかった‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   て、ドラマであったよね?
広志   え?
由紀   たしかあったよ、そういうセリフ。‥‥覚えてない?
広志   さあ。
由紀   ええっと‥‥軽井沢かどっかの避暑地でさ、恋人二人が真夜中にデートするのよ。で、誰もいない公園で、ブランコに乗ってさ、キーコ、キーコってこいでるの。それで、ふと見上げたら、星がいっぱいでさ、それで女の子が言うのよ。「星がこんなにたくさんあるなんて知らなかった」って。
広志   ふーん。
由紀   それからロマンチックなムードになってさ‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥えっと、何だっけ?
広志   何?
由紀   ドラマ。‥‥ほら、たしか去年スペシャルでやってたやつ。知らない?
広志   知らない。オレ、ドラマあんまり見ないから。
由紀   ふーん。‥‥えっとね、ここまで出てんだけどな‥‥。
広志   好きなの? そういうの?
由紀   え? そんなムチャクチャってわけじゃないけど、けっこう見てるよ。
広志   じゃなくてさ、そういうの。「星がこんなにたくさんあるなんて‥‥」とかみたいな話。
由紀   普通好きでしょ。ロマンチックじゃん。
広志   ふーん、そっか。
由紀   ‥‥嫌いなの?
広志   別にそういうわけじゃないけどさ。
由紀   そういうわけじゃなくて、何?
広志   ‥‥‥。
由紀   わかった。少女趣味って思ってる。
広志   違うよ。
由紀   じゃ、何よ。
広志   別にいいだろ。
由紀   ふーん。

  しばしの沈黙。
  虫が鳴いている。

広志   あれオリオン座かな?
由紀   え?
広志   ほら、右の方の三つかたまってるやつ。
由紀   (ふきだす)
広志   何だよ?
由紀   バーカ。オリオン座は冬だよ。
広志   え‥‥そうだっけ?
由紀   小学校の時、理科で習ったでしょ?
広志   そうだっけ。
由紀   ガラにもないこと無理して言おうとするから、そうなんの。そういうのは、少女趣味にまかしときなさい。
広志   ‥‥そういう意味じゃないよ。
由紀   じゃ、何?
広志   ‥‥うるさいな。
由紀   勝った。
広志   ‥‥‥。

  虫は鳴き続ける。

由紀   でも、やっぱり、星がこんなにあるなんて知らなかった‥‥。
広志   ‥‥‥。

  やや長い沈黙。
  やはり、虫は鳴いている。
  二つのみのむしは、黙って星を見ている。

由紀   ‥‥ねぇ。
広志   え?
由紀   あれ、持ってる?
広志   あれ?
由紀   お守り。
広志   ああ‥‥持ってるよ。(と、見せる)ほら。
由紀   そう。
広志   何?
由紀   ううん、別に。‥‥よかったって。
広志   ふーん。
由紀   ‥‥‥。
広志   あ、そうだ。
由紀   何?
広志   これさ、ほんとはお守りじゃないんだぜ。
由紀   え?
広志   ドッグ・タグって辞書ひいてみたらさ、「犬の鑑札」だって。
由紀   ‥‥そんなの、知ってるよ。‥‥形が似てるからじゃないの?
広志   いや、そうじゃなくって、もう一つ意味があんだよ。
由紀   もう一つ?
広志   アメリカ軍の認識票なんだって。
由紀   何よ、それ?
広志   身分証明書みたいなもんでさ、‥‥ほら、軍隊だから撃ち殺されたり、爆発でグチャグチャになったりするじゃない? 紙の身分証明書だと燃えてなくなっちゃうから、こうやって金属板にしてさ、首につるすんだよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   そういえば、戦争映画とかで、(寝袋から出て、立ち上がってしぐさをする)‥‥こうやってパトロールなんかしてる時に、死体が転がってると、こうやって(由紀の首に手を伸ばす)
由紀   やめてよ。(手を払いのける)
広志   ‥‥こうやって引きちぎって行くシーンとかあるじゃない?あれが、これなんだよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   二枚で一組になってんのもさ、本部で照合するんだよ。「ああ、死んだのはこいつか」って。
由紀   ‥‥‥。
広志   オレの知り合いにミリタリーマニアがいてさ、そいつが言ってたんだよ。
由紀   ‥‥じゃあ、何でドッグ・タグなのよ?
広志   そりゃ、ジョークだよ。アメリカ人だから。
由紀   どういうジョークよ?
広志   ほら、兵隊なんて結局使い捨てじゃない? だからさ、「オレたちゃどうせ犬だぜ! ファッキュー!」って、ヤケクソで言ったんだよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥いらないんだったら、返してよ。
広志   え? ‥‥そういう意味で言ったんじゃないよ。
由紀   じゃ、どういう意味よ。
広志   だから‥‥そうなんだから仕方ないじゃん。
由紀   そんなこと言ってるんじゃないよ! どうして今、わざわざそんなこと言わなきゃならないわけ? 人がプレゼントでお守りだってあげたんだから、お守りでいいじゃない!(泣く)
広志   ‥‥‥。
由紀   もう‥‥最低!
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥‥。

  虫が鳴いている。

広志   ‥‥ごめん。
由紀   ‥‥‥。

  虫が鳴いている。

広志   ‥‥だって‥‥少女趣味って言うから‥‥。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥ごめん。‥‥オレ、寝るわ。

  広志、寝袋に戻って寝る。
  長い沈黙。
  虫が鳴き続けている。

由紀   ‥‥バカヤロ。

  ひたすら虫は鳴く。
  夜は更けてゆく。
  暗転。


  夜。広志の家。
  母が電話している。
  祖母が座っている。
  ひろみが隅でパソコンをいじっている。

母    はぁ‥‥そうですねぇ。‥‥‥はい‥‥‥はい‥‥‥いえ、それは、こちらがご迷惑をおかけしてるんですから。‥‥‥はぁ‥‥。だから、一応警察の方にも連絡を‥‥‥え?‥‥‥‥でも、もう三日にもなりますし‥‥。‥‥‥はぁ‥‥‥はぁ‥‥いえ、それは、うちは男の子ですからいいんですけど、お宅は何分お嬢さんですから。‥‥‥はぁ‥‥‥でも、そういうわけにもいきませんでしょう?‥‥‥いや、ですから、うちは父親がおりませんから‥‥‥え?‥‥‥あのう、そういう話は、どこでお聞きになるんですの?
‥‥はあ‥‥はあ‥‥でも、それはうわさでしょう? ‥‥‥‥いや、だから、たとえ私に男関係があったとしても‥‥それはプライバシーの問題でしょ?‥‥第一それが何か関係あるんですの? ‥‥‥‥はあ‥‥‥え?‥‥‥‥あのぅ、それはどういう意味ですか?‥‥‥はあ‥‥‥はあ‥‥‥え?‥‥‥それじゃ、片親で教育力がないってことですか?‥‥それって、ちょっと偏見じゃありませんこと?‥‥‥はあ‥‥‥はあ‥‥‥あのぅ、そういう言い方はないんじゃないですか? まだ、どっちがどっちだかわからないでしょう? ‥‥‥‥ええ、だから、うちの子だって決まったわけじゃないんですから‥‥。‥‥違いますよ。開き直るとか、そういう問題じゃないでしょう? だから、こういうことは慎重に考えた方がいいって言ってるんです。‥‥‥‥あの、それはないんじゃありません? それは言葉のアヤで、そういうことはいいましたよ。うちが男ですから。でも、そんな言葉尻を取るような言い方はやめてもらえません? ‥‥‥‥ええ‥‥ええ‥‥ええ、わかりました。とにかく、またお電話しますから。‥‥‥はい‥‥‥はい。では、ごめんくださいませ。

  母、激しく電話を切る。

母    何よ! 下手に出たらいい気になって‥‥。
祖母   坂下さんか?
母    そうよ。
祖母   それで、何やって?
母    男がいるとかいないとか、何の関係があるのよ!
祖母   え?
母    シュウちゃんと広志は関係ないじゃない!
祖母   ‥‥‥。
母    娘と同い年の愛人がいるとか、そんなだから子供が非行に走るんだとか、あの人たち、どうせそんなうわさばっかりしてんのよ。
祖母   あのな‥‥。
母    何よ?
祖母   そやから‥‥そやから、広志のことは?
母    ああ‥‥それがさ、まるで広志を誘拐犯みたいに言うのよ。
祖母   お母さんか?
母    父親。‥‥男のくせにねちねちねちねちしゃべんのよね、あのオヤジ。‥‥だいたい、誘拐って‥‥二人で家出したのに、どうしてそうなんのよ? お母ちゃん、そう思わない?
祖母   ああ‥‥そやな。
母    でしょう? 人の教育に文句を言うんなら、自分の娘はどうなのよ?
祖母   そのな‥‥
母    何?
祖母   その、相手の娘さん、なんちゅう名前やったっけ?
母    由紀。坂下由紀よ。お母ちゃんも会ったことあるでしょう?
祖母   大学生やったかな?
母    確か、四回生よ。
祖母   そうか。
母    大学四回生だっら、もう大人じゃない? 親がつべこべ言わなくていいのよ。
祖母   四回生ちゅうたら、もう卒業やな。
母    え? それがどうしたの?
祖母   その子、もう、就職決まってるんやろか?
母    そんなの知らないわよ。
祖母   そうか‥‥。就職決まらんでやけくそになったんちゃうやろか?
母    何でそんな心配すんのよ! 広志が就職しないから当てつけなの? お母ちゃんは誰の味方なのよ?
祖母   ‥‥‥。
母    問題は、広志なのよ。広志!
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
母    うるさいわよ、ひろみちゃん!
ひろみ  だって、あははははは。
母    うるさいってば!

  間。

祖母   加世子。とにかく、あんまり荒立てん方がええと思うで。向こうは女の子なんやから。
母    女の子だったら何なの? そういう考え方するから、若い子がつけあがるのよ。‥‥向こうの子が広志を誘った可能性だってあるじゃない?
祖母   それはそやろけど‥‥世間の人は、そんな見方してくれへんで。やっぱし、男の子の方が悪いちゅうことになってまうで。
母    そんなことわかってるわよ。‥‥わかってるから、お母ちゃんはちょっと黙ってて。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
母    うるさいって言ってるでしょ!

  間。

母    もう、誰も広志のことは心配してないんだから。それでも家族なの?
祖母   ‥‥そら、心配はしてるで。心配やから‥‥。

  シュウが入ってくる。

シュウ  加世子!
母    あら、シュウちゃん、早かったのね。‥‥ねぇ、聞いてよ、さっき電話があってさ‥‥
シュウ  加世子、五万円貸してくれ。
母    え?
シュウ  今すぐいるんだ。なあ、五万円。
母    そんな、急に言われても‥‥。
シュウ  今が勝負なんだよ。すぐに返すから。さあ!
母    そんなお金ないわよ。
シュウ  じゃ、銀行のカード貸してくれよ。
母    そんなの、今月生活できなくなっちゃうじゃない。
シュウ  だから、すぐに返すって言ってんじゃん。俺が信用できねえのかよ?
母    ‥‥バクチなんでしょ?
シュウ  うっせーんだよ! そんなことおめーには関係ねえんだよ。つべこべ言わずに、なあ五万円。なあ。
母    ‥‥‥。
シュウ  うぜえやつだな。‥‥そうだ! 婆さん、持ってねえのかよ?
祖母   え‥‥。
シュウ  なあ?
祖母   一万ぐらいやったらあるけど‥‥。
シュウ  それでもいいや。貸してくれよ。すぐに返すからさ。

  祖母、しぶしぶ財布を開ける。

母    お母ちゃん!
シュウ  (金を受け取って)サンキュ。‥‥さて、残りは四万か。
母    ねえ、それより、広志の話を聞いてよ。
シュウ  広志? もう大人なんだから、ほっとけ。
母    そうもいかないわよ。相手もあるんだし‥‥。
シュウ  うるせえな。駆け落ちでも何でもすればいいじゃん。そんなのあいつの勝手だろ。
母    シュウちゃん!
シュウ  あと四万‥‥しょうがねえな‥‥サラ金でも行くか。
母    シュウちゃん! もう、サラ金はやめて!
シュウ  そんなのしょうがねえじゃん。誰かさんがケチなんだからよ。
母    シュウちゃん!
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
シュウ  おい、ひきこもり。おめえは相変わらず気楽でいいよな。‥‥じゃな。

  シュウ、出て行く。

母    シュウちゃん!

  母も後を追って出て行く。
  しばしの間。

ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
祖母   ひろみちゃん‥‥何がそんなにおもしろいねん?
ひろみ  ‥‥‥。(キーボードを打っている)
祖母   ゲームか?
ひろみ  ‥‥ゲームじゃない。
祖母   ほな、なんやの?
ひろみ  ‥‥ゲームかな?
祖母   どんなゲームやねん?
ひろみ  おばあちゃんにはわかんないよ。
祖母   ‥‥そうか。‥‥それ、パソコンか?
ひろみ  うん。
祖母   この頃はそればっかしやな。
ひろみ  うん。
祖母   もう、プレ‥‥プレ‥‥プレ‥‥
ひろみ  プレステ?
祖母   そや、そのプレステとかせえへんのか?
ひろみ  こっちの方がおもしろいもん。
祖母   そうか。

  しばしの間。
  ひろみはキーボードを打っている。

ひろみ  (キーボードを打ちながら)あははははははは。
祖母   ‥‥‥。なあ。
ひろみ  ‥‥‥。
祖母   何がそんなにおもしろいねん?
ひろみ  ‥‥ほんと、男ってバカよねぇ。
祖母   え?
ひろみ  えらそうに言ってたくせに、振られそうになったら泣きついてくんの。
祖母   え? ‥‥なんやの、それ?
ひろみ  ちょっと待って。返事打つから。(キーボードを打つ)
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  これで、よし、と。今度はどんな言い訳言ってくるかな?
祖母   それ、ゲームやの? 手紙やの? 電話やの?
ひろみ  うーん、ゲームで手紙で電話。
祖母   ええ?
ひろみ  へへ‥‥。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  ‥‥教えてあげよっか?
祖母   ああ。
ひろみ  おばあちゃんにわかるかな?
祖母   なあ、教えてえな。教えてえな、ひろみちゃん。
ひろみ  おばあちゃん、出会い系って知ってる?
祖母   出会い系? ‥‥なんか新聞に載ってたな。なんか危ないやつちゃうんか?
ひろみ  へえ、知ってるんだ。
祖母   名前だけな。
ひろみ  その出会い系にはまってるの。ア・ブ・ナ・イ・ヤ・ツ。
祖母   そんなんやって、大丈夫なんか?
ひろみ  平気だよ。あ、ちょっと待って。返事が来た。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  あははははははは。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  あのさ、思いっきり冷たくしてやったらさ、あたしを探し出して家まで来てやる、って。
祖母   そんな‥‥あんた‥‥。
ひろみ  大丈夫。そんなことできっこないんだよ。
祖母   ほんまか? ほんまに大丈夫なんか?
ひろみ  そういうシステムなの。‥‥男はなーんにもできないの。ただせっせとメールを送るだけ。高いお金を払ってね。
祖母   そうなんか?
ひろみ  でも、かわいそうといえばかわいそうだねぇ。ケンカをするのにも千円、二千円ってかかっちゃうんだから。ちょっとすねてやったら一万円ぐらいあっという間。もうかっちゃうねぇ。
祖母   ひろみちゃん、それ、アルバイトなんか?
ひろみ  うーん、それもあるけど、それより‥‥あ、また来た。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  (打ち終わって)バーカ!
祖母   ‥‥それよりなんやねん?
ひろみ  え?
祖母   ひろみちゃん、今、言いかけてたやん。
ひろみ  え? 何言ってたっけ? えーと‥‥
祖母   アルバイトと違うとか‥‥
ひろみ  ああ、そうそう、思い出した。この出会い系ってさ、お金が入んのもいいんだけどね、いろんな女の子になれるのがおもしろいの。
祖母   いろんな女の子?
ひろみ  えーっとね、いろいろやったよ。女子高生とか、行き遅れのOLとか、夫に相手にされない人妻とか、単なる色気違いとか、友達のいないさみしい女の子とか。そうそう、社長夫人とか、美人の女医とかもやった。
祖母   じょい?
ひろみ  女のお医者さん。会ってくれたら十万円あげます、とか、外車で迎えに行きます、とか。そーんなうそくさいのでもけっこう引っかかるやつがいるんだよね。
祖母   ‥‥男の人をだましてんのか?
ひろみ  ゲームだよ、ゲーム。
祖母   あんまり人にウソついたらあかんで。ウソばっかりついてたら、
ひろみ  閻魔様に舌を抜かれる!
祖母   ‥‥ほんまにそやで。
ひろみ  おばあちゃん、そんなこと言ってたら、小説家なんか、みんな舌を抜かれちゃうよ。
祖母   え?
ひろみ  ウソ話で商売してるから。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  そういえば、小説家気分になれるから、こんなにはまっちゃったのかもねー。これって、一種の恋愛小説だもんね。
祖母   そんなんが小説なんか? おばあちゃんにはようわからんわ。
ひろみ  小説よ、小説。シチュエーションがあってさ、心の探り合いがあってさ、駆け引きがあってさ、クライマックスがあってさ、もう立派な小説よ。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  ま、ハッピーエンドはないんだけどね。あ、来た!
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  あ、こいつか‥‥。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  どうしようかなー?
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  駆け落ちでもさせちゃおうか?
祖母   え? ‥‥駆け落ちってなんやねん?
ひろみ  メールの話よ。‥‥こいつ、すっごく暗いんだけど、かなりマジなんだよねー。へたにからかったりしたら、自殺でもされたらイヤだしなー。
祖母   あのな、ひろみちゃん。ゲームもええけど、ヒロちゃんが、ああいうことになってるんやさかい、あんまり不謹慎なこと考えん方がええで。
ひろみ  わかってますよー。‥‥だから悩んでんじゃない。‥‥どうしようかなー? 一回シカトしとくかな?
祖母   ‥‥やさしい返事書いたげ。なるべくやさしゅうに。
ひろみ  おばあちゃん、わかってないわね。それがかえって残酷になっちゃうのよ。‥‥やさしいだけで解決すんなら、こんなに困ってないわよ!
祖母   ‥‥‥。

  電話のベルが鳴る。
  鳴り続ける電話。
  仕方がないので、祖母が出る。

祖母   はい、澤田でございます。‥‥ああ、坂下さんですか?‥‥あいにく、誰もいやしませんのですけど‥‥え‥‥ああ、広志の祖母ですねんけど‥‥‥はぁ、そうです。‥‥はぁ‥‥‥‥あ、伝えますよってに。‥‥‥‥はぁ‥‥‥‥はぁ‥‥

  ゆっくりと暗転。


  山の中。
  夏の昼間。快晴。
  木陰。
  広志が寝ころんでいる。
  隣に由紀がすわっている。
  セミの声。

由紀   やっぱり木陰だと、かなり涼しいね。
広志   ‥‥ああ。
由紀   風も吹いてきたし。
広志   ‥‥ああ。
由紀   今日なんか、町中だとすごく暑いだろうね。
広志   ‥‥ああ‥‥そうかもな。
由紀   何度ぐらいかな?
広志   ‥‥‥。
由紀   ねぇ、何度ぐらいだと思う?
広志   え?
由紀   気温。
広志   ‥‥ここ?
由紀   ううん、町の中。
広志   五十度。
由紀   もう‥‥そんなわけないでしょ。真面目に答えてよ。
広志   そんなの、わかんないよ。
由紀   もう、つまんない人ね。ちょっとぐらい想像してみてもいいじゃない?
広志   ‥‥想像して、どうすんの?
由紀   三十五度は越えてるかな? ねぇ、そう思わない?
広志   ‥‥‥。
由紀   広志の予想は?
広志   わかんない。
由紀   もう!

  セミが鳴いている。

由紀   ‥‥みんな、どうしてるかな?
広志   ‥‥‥。
由紀   心配してるだろうな。
広志   ‥‥帰りたくなった?
由紀   ううん、そんなんじゃないけど‥‥。
広志   ふーん。
由紀   広志のとこでも心配してるでしょ?
広志   うちはない。
由紀   え?
広志   うちは絶対心配なんかしてないね。
由紀   そんなことないでしょ?
広志   そんなことあるの。
由紀   どうして?
広志   そういう家だから。
由紀   え‥‥どういうこと?
広志   ‥‥ま、どーだっていいじゃん。いろいろ事情があるわけ。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥広志ってさ、
広志   うん?
由紀   家のこと、話してくれないよね。
広志   ‥‥‥。
由紀   どうして? もう三年もつきあってるのに、私、ほとんど知らないよ。
広志   ‥‥話したくないから。
由紀   でも‥‥。
広志   ま、いろいろ事情があるわけ。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥‥。

  セミの声。

広志   ♪ 思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
     思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

  セミの声。

由紀   その歌、何?
広志   昔の歌。
由紀   誰の歌?
広志   忘れた。
由紀   ふーん。
広志   ‥‥‥。
由紀   あ、どんぐり。
広志   ‥‥‥。
由紀   こんな都会の山にもあるんだ。
広志   そりゃ、あるだろ。どんぐりぐらい。
由紀   でも、なんだかうれしいじゃない?
広志   ‥‥‥。
由紀   (どんぐりを見つめながら)どんぐりかあ‥‥。ふふ。
広志   ?
由紀   小学校の頃、このあたりに遠足に来たのよね。‥‥秋だったかなあ‥‥栗とかどんぐりとか拾ってさあ‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   こんな山でも、都会の子にはすっごい大自然に見えるのよね。‥‥静かな山道の中に、自分たちの枯れ葉を踏みしめる音だけが聞こえてさ。なんか、神秘的っていうか、未知との遭遇っていうか。
広志   ふーん。
由紀   広志は、そういうのなかった?
広志   うーん、忘れたなあ。‥‥それに、よくさぼってたから。
由紀   そっか。‥‥懐かしいなあ。
広志   それ、トシ取ったっていうことだよ。
由紀   え?
広志   昔を懐かしむのは、それだけトシを取った証拠。
由紀   もう! いじわる!
広志   ははは。
由紀   ‥‥‥。

  広志、起き上がる。

広志   だから、俺は過去は振り返らないの。
由紀   え?
広志   過去に引きずられると、人間が弱くなっちまうから。
由紀   へぇ‥‥。かっこいいね。映画のヒーローみたい。
広志   ‥‥でもないけどな。
由紀   ふーん、そうなんだ。広志はハードボイルドなんだ。
広志   そんな風に生きられたら、とは思うね。まあ、あこがれだけど。
由紀   そっか。‥‥そうなんだ。
広志   うん‥‥まあね。

  しばしの間。
  セミが鳴いている。

由紀   ‥‥それで‥‥ハードボイルドは、未来も見ないの?
広志   え?
由紀   だって就職しないんでしょ?
広志   え‥‥ああ。
由紀   ずうっとフリーター?
広志   ‥‥わかんない。
由紀   だって、このまま行ったら‥‥
広志   そうやってさ、消化ゲームを数えるように人生を計算するのがイヤなの。
由紀   だって‥‥
広志   だって何だよ?
由紀   将来、不安じゃない?
広志   ‥‥‥。
由紀   ねえ。
広志   ‥‥安定した将来設計、か。
由紀   え?
広志   くそくらえだ。
由紀   え‥‥。
広志   じゃ、聞くけどさ。
由紀   何?
広志   安定するために生きてんの?
由紀   え?
広志   安定した就職、安定した結婚、安定した家庭、安定した老後、そして、安定した葬式。
由紀   ‥‥‥。
広志   今すぐ棺桶に入りゃ、この上なく安定した人生だよ。将来の不安もないしさ。
由紀   茶化さないでよ。
広志   茶化してなんかいないさ。
由紀   どうして?
広志   俺が言いたいのはさ、人生は生きること自体が目的じゃないってこと。
由紀   それ、どういう意味?
広志   肝心なのは、その人生で何をするか、じゃない? 何もしないで安定してるだけの人生なんて、脳死状態とおんなじだ。
由紀   ‥‥‥。
広志   考えてもみろよ。掛け値なしに、たった一度きりの人生なんだぜ。
由紀   ‥‥‥。

  しばしの間。
  セミの声。

由紀   ‥‥フリーターならそれができて‥‥就職したらできないの?
広志   それは‥‥そうだろう?
由紀   就職しながら何かをすることだってできるじゃない?
広志   できないね。
由紀   どうして?
広志   就職したら縛られちゃうじゃない? 自由がないよ。
由紀   自由‥‥。
広志   俺だってフリーターがベストかどうかはわかんない。でも、ベターだとは思う。
由紀   ‥‥広志は、
広志   ん?
由紀   広志は、そうやって自由を手に入れて何がしたいの?
広志   ‥‥わかんない。
由紀   え?
広志   わかんないけど、何でもできるフリーハンドを手にしていたいんだ。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥由紀はさ、就職活動進んでるの?
由紀   え?
広志   広告関係だっけ?
由紀   ああ‥‥就活はやってるよ‥‥。でも‥‥。
広志   うまくいってないの?
由紀   それもあるけど‥‥。
広志   何?
由紀   ‥‥パパがさ、
広志   パパ?
由紀   パパが反対してるのよ。
広志   広告を?
由紀   うん。
広志   そっか。

  しばしの間。
  セミの声。

広志   ‥‥前から思ってたんだけど。
由紀   何?
広志   お前もさ、就活なんかやめて、フリーターになれよ。
由紀   え?
広志   なあ、なれよ。
由紀   ‥‥マジで言ってんの?
広志   マジ。大マジ。
由紀   どうして?
広志   広告がどんな世界かは知らないけどさ、どうせ人に使われるんだろう? 人に使われる人生なんてつまんないぜ。
由紀   フリーターだって、使われるじゃない?
広志   イヤだったらやめりゃいいじゃん。
由紀   それは‥‥そうだけど。
広志   お前さ、自分で気づいてないかもしれないけど、縛られてんだよ。
由紀   え? どういうこと?
広志   大学出たら次は就職すんのが当たり前だと思ってない?
由紀   え?
広志   そういう考え方が縛られてんだよ。常識に縛られて、世間体に縛られて、それからパパにも縛られて。
由紀   ‥‥‥。
広志   なあ、もっと自由になれよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   俺と一緒に自由に生きようぜ。
由紀   ‥‥‥。
広志   そして、これがその第一歩だ。
由紀   これ?
広志   今回の家出。これは不自由からの脱出なんだよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   これがチャンスなんだ。お前にも自由な人生が待っているんだよ。
由紀   ‥‥‥。

  しばしの間。
  セミの声。

由紀   ‥‥自由。
広志   そう、自由だ! 俺たちは自由なんだ!

  セミの声。
  暗転。


  暗闇。
  ひろみの声が聞こえてくる。

ひろみ  ねえ、今何してんの?
     テレビで野球観てた。今日の夜空いてる? 会わない?
     今晩は予定が入ってるの。来週空いてる日ない?
     水曜か木曜だったら何とかなると思う。

  次第に、ひろみにサスが入る。

ひろみ  あなたのプロフとか教えてもらえませんか?
     まあ、普通の会社員ですけどね。営業マンで、趣味はドライブと釣りかな。
     ドライブってどこに行くんですか?
     まあ、海ですね。湘南を走るのが最高ですよ。今度一緒に行きましょう。

     ねえ、今何してる?
     なんにもしてない。寝てた。なあ、早くHしようぜ。
     へぇ、ガツガツしてんだ。
     男はみんなガツガツだよ。ガツガツのビンビンだぜ。

  次第に、夜の部屋明かり。
  祖母がすわっている。

     彼氏に振られちゃいました。涙が止まりません。ねぇ、お願いだから私に思いっきり優しくして下さい。
     いいですよ。で、どこに何時に行ったらいいんですか?
     このままだと、もう生きていけません。助けて。
     だから、どこに何時に行ったらいいんですか?
     私、もうだめ。今すぐ抱きしめて。
     だから、どこに何時に‥‥
     あははははははは。     

  広志の家。
  夜。

祖母   ‥‥ひろみちゃん、朝から晩まで、よう飽きひんな。
ひろみ  うん。
祖母   そんなにおもしろいんか?
ひろみ  うん。
祖母   その、お見合いなんとかちゅうのな‥‥
ひろみ  出会い系サイト。
祖母   ああ、出会い系か‥‥。
ひろみ  うん。
祖母   出会い系ちゅうても、ひろみちゃん、全然出おうてへんのちゃうか? ずーっと家にいるんやし。
ひろみ  うん。出会ってないよ。ひーとりも。
祖母   やっぱし、男の人、だましてるんか?
ひろみ  だから、ゲームだって。ゲーム。
祖母   そやかて、約束とかするんやろ?
ひろみ  する時もあるし、しない時もある。
祖母   約束したら‥‥
ひろみ  ちょっと待って。来た。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  あはははははははは。
祖母   ‥‥‥。それで、約束したら、どうするんや?
ひろみ  ブッチすんの。
祖母   え?
ひろみ  行かないの。
祖母   ‥‥それで、男の人は怒らはらへんのか?
ひろみ  怒るよ。
祖母   そしたら、どうするんや? 謝るんか?
ひろみ  まあ、だいたい言い訳か逆ギレ。
祖母   え?
ひろみ  急に用事が入ったとか、母親が倒れたとか。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  おばあちゃんも時々倒れてるよ。悪いけど。
祖母   え?
ひろみ  ごめんねー。
祖母   ひろみちゃん、そんなウソばっかりついてたら‥‥
ひろみ  あ、来た。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  あはははははははは。
祖母   ‥‥‥。

  シュウが母に抱えられて入ってくる。
  シュウはかなり酔っている様子。

母    ほら、シュウちゃん、しっかりして。
シュウ  しっかりしてるって。しっかり。
母    全然してないわよ。
シュウ  俺はいつだってしっかりしてますよー。
母    それなら、少しは自分で歩いてよ。
シュウ  歩く? ああ、歩けばいいんだね、歩けば。‥‥ほら、歩いてますよー。

  シュウ、部屋の中央までフラフラと歩き、倒れ込む。

母    シュウちゃん! 大丈夫?
シュウ  ‥‥みなさん‥‥こんばんわー。
母    こんばんわじゃないでしょ? どうしてこんなに飲んだの?
シュウ  ‥‥男にはね、飲まなきゃならない時がある! ‥‥って、これ、わかる? なあ、ひきこもり、お前わかるかよ?
ひとみ  ‥‥‥。(パソコンを打つ。)
シュウ  ふん、シカトかよ。‥‥だから女はイヤなんだよな。‥‥おい、広志、お前ならわかっだろ?‥‥あれ? 広志は? おーい広志!
母    何言ってんのよ。大きな声、出さないで。
シュウ  加世子、酒。酒だ。
母    シュウちゃん、もう飲んだらダメ。今、お水持ってくるから。

  母、去る。

シュウ  何だよ。おみずなんかいりませんよー。‥‥ぼかあ、おちゃけ、おちゃけがほしいーんでーす。
祖母   ‥‥‥。
ひろみ  ‥‥‥。

  母、水を持って戻ってくる。

母    シュウちゃん、はい、お水。
シュウ  水なんかいらねえよ。
母    いいから、飲んで。はい。

  シュウ、コップを受け取り、水を一気に飲み干す。

シュウ  プハア‥‥。これ、何ていう銘柄?
母    何言ってんのよ。お水よ。水。
シュウ  へぇ、オミズっていうんですかあー。
母    もう!ふざけないで! ‥‥シュウちゃん、何があったの?
シュウ  ああ、よーく聞いてくれました。‥‥‥ひろみちゃーん。(泣き声になる)
母    え?

  ひろみ、ピクンと反応する。

シュウ  ひろみちゃんがさあ、冷たいんだよね。‥‥俺がこんなに尽くしてんのに。‥‥ありゃ、絶対男ができたんだ。間違いない。
母    ひろみがどうかしたの?
シュウ  え?
母    ひろみって‥‥。
シュウ  え? ああ、そっか。ひきこもりもひろみだったな。‥‥おんなじひろみでもえれぇ違いだ。ハハハハハ。
母    そのひろみって何なのよ!
シュウ  ‥‥しょうがねえから、今日はこっちのひろみちゃんに慰めてもらおうかなー。へへへ。

  シュウ、フラフラと立ち上がる。

ひろみ  !
母    シュウちゃん!

  シュウ、フラフラとひろみに近づいて行く。

ひろみ  やめてよ。
シュウ  ひろみちゃーん。
ひろみ  来るな。
シュウ  冷たくしないでよー。

  シュウ、ひろみに抱きつく。

母    シュウちゃん!
シュウ  ひろみちゃーん。
ひろみ  やめろ!

  ひろみ、シュウを突き飛ばす。
  シュウ、仰向けに倒れる。

母    シュウちゃん!
シュウ  ‥‥へへ。‥‥へへへへ。
ひろみ  ‥‥‥。
シュウ  ‥‥へへ‥‥どいつも、こいつも冷てえなあ。
母    ‥‥シュウちゃん。
シュウ  ‥‥へへへへ。
母    そのひろみって何なのよ?
シュウ  ひろみ?‥‥ひろみは、ひろみだよ。
母    その女は‥‥あなたの何なの?
シュウ  何? ‥‥そうだな‥‥愛人‥‥だったかな‥‥。
母    愛人‥‥。
シュウ  そうだよ、愛人だよ。愛人だったんだよ。
母    ‥‥‥。
シュウ  ‥‥そうだよ。愛人だったんだよ。さっきまではな‥‥。ひろみー!

  シュウ、泣く。

母    ‥‥シュウちゃん‥‥あたしを、あたしをだましてたのね。
シュウ  ひろみー! どうして行っちまったんだよー!
母    シュウちゃん!
シュウ  ‥‥何だよ?
母    ‥‥‥。
シュウ  ‥‥何だよ? 俺に女がいたら悪いのかよ? 若い姉ちゃんと仲良くしたらいけねぇのかよ。そんなことを言う権利がおめえにはあんのかよ!
母    ‥‥シュウちゃん。
シュウ  俺はよ‥‥俺はよ‥‥いつまでもハバアに縛られてるような男じゃねぇんだよ!
母    !
シュウ  ‥‥どいつもこいつも‥‥。おもしろくねぇ。俺は寝るぜ。

  シュウ、横になる。

母    ‥‥シュウちゃん。
シュウ  ‥‥‥。
母    ‥‥それ、本気で言ってるの?
シュウ  ‥‥‥。
母    シュウちゃん!
シュウ    ‥‥‥。

  母、泣きながら走り去る。

祖母   加世子!

  気まずい沈黙。

祖母   ‥‥加世子。

  長い沈黙。
  救急車のサイレンの音。
  ひろみが、パソコンのディスプレイを見つめて、つぶやき始める。

ひろみ  僕はひとりぼっちなんです。
     そんなことはないわ。誰でもひとりぼっちよ。
     僕がもし、明日いなくなっても誰も気づかないんです。何もなかったように、平凡な毎日が続いてゆくんです。
     そんなことはないわ。きっと誰かが気づくわよ。

  次第に、ひろみのサス明かりに転換してゆく。      
  

     一人の命は地球より重い、と誰かが言ってましたよね。
     そういえば、そんなの聞いたことがあるわ。
     僕の命は、地球より重いのでしょうか?
     難しいことはよくわからないけど、きっとそうよ。
     僕にはそれがどうしても信じられない。僕の存在なんか、鳥の羽よりも軽いんです。
     そんなことはないわ。
     どうして?
     え? それは今はうまく言えないけど。
     生きてても死んでても同じじゃないかな、と思えるんです。
     死んだらダメよ。死んじゃ何もかもなくなっちゃうのよ。
     いっそ死んで、鳥の羽になりたいんです。
     え? どうして?
     鳥の羽になって、あの遠い空の果ての、空の青が青でなくなるあたりまで行ってみたいんです。
     それは宇宙へ行きたいってこと?
     それはよくわかりません。空が空でなくなるあたり、青が青でなくなるあたりで、溶けるように静かに消えてゆければしあわせだろうなと、そう思うんです。
     それは、絶望なの? 希望なの?
     そこにあなたがいてほしいんです。
     え? 意味がよくわからないんですけど。
     あなたを信じてもいいですか?
     どういうこと?
     僕は、あなただけは信じていたい。だって、何も信じないまま消えてゆくのは、あまりにも悲しいから。
     それじゃ、それで気がすむのなら、信じて下さい。
     本当ですか?
     ええ。

  ひろみ、パソコンのディスプレイから目を離す。     
   

ひろみ  あなたを信じていいですか?

  暗転。


  夏の夜。山の中。小雨が降っている。
  傘の下に寝袋に入って寝ている広志がいる。
  隣にもう一つ、空の寝袋がある。
  広志がふと目を覚ます。隣を見る。

広志   由紀?

  返事はない。
  雨の音。

広志   由紀‥‥。

  しばらく広志は考えている。
  そして、やがて目をつぶる。
  雨の音が続く。
  やや間があって、由紀が帰ってくる。
  そっと寝袋にもぐり込もうとする。

広志   どこ行ってたの?
由紀   あ、起こしちゃった? ごめん。
広志   どこ行ってたの? ずぶ濡れじゃん。
由紀   お手洗い。
広志   傘持ってけばいいのに。
由紀   あなた濡れるでしょ?
広志   木の下だから、ちょっとぐらい平気だよ。
由紀   もう小降りだから‥‥。

  広志、リュックサックからタオルを出す。

広志   はい。
由紀   ありがと。

  由紀、タオルで髪をふく。

由紀   もうすぐやみそう。
広志   ‥‥そう。
由紀   けっこう濡れてるね。
広志   え?
由紀   寝袋。‥‥晴れたら、干さなきゃね。気持ち悪いよ。
広志   ‥‥そうだな。
由紀   夏だから大丈夫だよ。陽ざし強いから。
広志   ‥‥晴れるかな。
由紀   晴れるよ。

  しばしの沈黙。雨の音。

由紀   ‥‥眠かったら、寝ていいよ。
広志   いや、もう覚めた。
由紀   そう‥‥。
広志   ‥‥‥。

  雨の音。

由紀   ‥‥お風呂入りたいね。
広志   ‥‥ああ。
由紀   髪の毛だけでも洗いたいな。
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥今日、たしか日曜だよね。
広志   え‥‥そうかな?
由紀   そうだよ、日曜だよ。
広志   だったら、何?
由紀   ねぇ、銭湯行かない? 日曜だったらやってるでしょ?
広志   え?
由紀   ついでに、コインランドリーも行こうよ。
広志   ‥‥‥。
由紀   ねぇ。
広志   ‥‥帰りたくなった?
由紀   え? ‥‥そうじゃなくて‥‥。
広志   帰りたかったら、帰っていいよ。
由紀   ‥‥‥。どうして、そんなこと言うの? お風呂行こうって言ってるだけでしょ?
広志   ‥‥‥。
由紀   何なのよ? お風呂も行っちゃいけないの?
広志   ‥‥誰に電話してたんだよ?
由紀   え。
広志   きのうの夜、携帯かけてただろ? さっきのだってそうなんだろ?
由紀   ‥‥‥。聞いてたの?
広志   聞こうと思わなくても、山ん中静かだからさ‥‥。一人でしゃべってたら変じゃない?
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥誰なんだよ?
由紀   ‥‥‥。
広志   言えない奴なんだ。
由紀   違うわよ!
広志   じゃ、誰だよ!
由紀   ママよ。
広志   え。

  しばしの沈黙。

由紀   ‥‥ママに電話してたのよ。
広志   それ‥‥どういうことだよ?
由紀   だって、警察とかに連絡して、捜索騒ぎとかになったら大変だから‥‥。
広志   何だよ、それ‥‥。じゃあ、最初っから‥‥?
由紀   違う。そうじゃないの。‥‥そうじゃなくて、私がかけたのよ。山の中だから、どうせダメだろうって思ってたの‥‥そしたら、つながっちゃって‥‥
広志   どこが違うんだよ? そんなのおんなじだよ! ‥‥何だよ‥‥八百長だったのか? ‥‥家出ごっこだったのかよ!
由紀   違う‥‥違うのよ。
広志   何が違うんだよ!
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥親父を困らせたら、それでよかったんだろ? 母親と示し合わせてさ‥‥。じゃあ、オレは何だったんだよ‥‥?
由紀   ‥‥‥。
広志   まるっきり間抜けじゃない? ‥‥何にも知らないでさ、マジで信じ込んで、家飛び出してさ‥‥。
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥何だよ。馬鹿にすんなよ。‥‥別に誰だってよかったんだろ? オレじゃなくてもよかったんだろ!
由紀   ‥‥違う。
広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥‥。
広志   帰れよ‥‥。ママのところに帰れよ!
由紀   ‥‥‥。

  長い沈黙。
  きれいな月明かりが差し込む。
  雨は上がったのだ。
  やがて、虫が鳴き出す。

広志   ‥‥いつだって、そうなんだよ‥‥。オレじゃなくてもいいんだよ‥‥。
由紀   ‥‥‥。
広志   何やっててもさ、何にもやらなくてもさ、おんなじなんだよ。‥‥空気みたいなもんだからさ、いてもいなくてもおんなじなんだよ。
由紀   ‥‥‥。
広志   でもさ、オレはここにいるんだよね、悪いけど。こうやって間抜けに生きてんだよ‥‥。畜生! 馬鹿にすんなよ!
由紀   ‥‥‥。
広志   ‥‥ちくしょう‥‥。
由紀   ‥‥‥。

  虫が鳴いている。

由紀   ‥‥あなたでなくてもよかったのかもしれない。
広志   ‥‥‥。
由紀   私ね、つき合ってる人がいるの。
広志   え。
由紀   サークルで一緒の大学生でさ。‥‥何度も誘われたのよ。ずっと断ってたんだけどさ‥‥広志の就職が決まるまで待っていようって‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   でも、ほんとはさびしかったのよね‥‥私、そんなに強くないから。‥‥あなたに就職する気がないんだって分かってさ、ふっと気が抜けたみたいになっちゃって‥‥その人にも、あなたにも悪いって思ったんだけど、つき合い始めたの‥‥。
広志   ‥‥‥。
由紀   でも、あなたが「行こう」って言ってくれた時、すごくうれしかった。‥‥自分勝手かもしれないけど、やっぱりこの人なんだって思った。‥‥だから、その人には電話はしてない。ほんとよ。これだけは信じて。
広志   ‥‥だから、何なんだよ?
由紀   あなたでなければならないの。
広志   ‥‥‥。憐れみか? 同情か? そんなのいらねえんだよ! そんな話して、オレが喜ぶとでも思うのか?みじめなだけじゃないか!
由紀   ‥‥‥。
広志   笑えよ。間抜けでフリーターのさえない男をさ、その大学生と一緒に笑ってたらいいだろ!
由紀   広志‥‥。
広志   ほら、笑えよ‥‥。笑えって言ってんだよ!
由紀   ‥‥‥。
広志   ハハハ‥‥。そうだよ、お前がくれたこの犬の鑑札。こいつがオレにはお似合いなんだよ。オレはどうせ犬コロだからさ‥‥ほら、ご主人様のためにほえてやるよ。ワン、ワン、ワン。ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン。
由紀   やめて‥‥。
広志   ワン、ワン、ワン。ワオーン。ワン、ワン、ワン。ワン、ワン、ワン。ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワオーン。ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン‥‥。
由紀   やめて!
広志   ‥‥‥。

  広志、自分の首からドッグ・タグをはずす。

広志   何がドッグ・タグだよ。馬鹿にすんなよ!

  地面に投げつける。

広志   ‥‥ファッキュー。

  由紀、泣く。
  長い沈黙。
  虫の声だけが聞こえる。
  やがて由紀は立ち上がり、ゆっくりと山道を下り始める。
  広志は、その後ろ姿を無言のままじっと見つめているが、やおら立ち上がり、由紀に襲いかかる。

由紀   !

  組み伏せられ、仰向けに倒れた由紀の上に馬乗りになる広志。
  由紀は抵抗はしない。ただ、じっと広志の目を見つめている。

広志   ‥‥‥。
由紀   ‥‥‥。

  広志は動けなくなる。

広志   何だよ‥‥。
由紀   ‥‥‥。
広志   何なんだよ!
由紀   ‥‥‥。

  虫の声。

広志   馬鹿にすんなよ‥‥畜生!

  広志、由紀の首を絞める。執拗に絞め続ける。
  やがて由紀は脱力する。
  広志は、絞めていた手をはずす。
  しばらく茫然と由紀を見つめているが、ふと思い出したように由紀の首に手を伸ばし、ドッグ・タグを引きちぎる。そして、逃げるように闇の中に走って行く。
  倒れている由紀。月明かり。虫の声。
  しばらくして、由紀がかすかに首をもたげる。
  由紀は死んではいなかった。

由紀   広志‥‥。

  じっと闇を見つめる由紀。
  虫の声。
  暗転。


  セミの声。
  再び最初の夏の山道。
  青年1が、切り株にもたれて寝込んでいる。
  隣に老人が立っている。
  老人は、杖で青年1をつつく。

青年1  う、うーん‥‥。

  青年1は、起きない。
  老人は、もう少し強くつつく。

青年1  う、う、うーん‥‥。

  青年1は、まだ起きない。
  老人は、杖を振り上げる。

青年1  由紀! ‥‥あ。

  青年1が目を覚ます。
  老人は振り上げた杖を下ろせない。
  青年1と目が合う。

青年1  あ。
老人   ‥‥‥。
青年1  ‥‥夢か。

  老人、そろりそろりと杖を下ろす。

老人   ‥‥メシはまだ炊けておらんぞ。
青年1  え? ‥‥メシ?
老人   メシはまだ炊けてはおらぬ、と言っておるのじゃ。
青年1  え? ‥‥ごはん、まだなの?
老人   そうではない! ‥‥お前は、今まで夢を見ておったのじゃ。‥‥しかし、メシはまだ炊けてはおらぬ‥‥。
青年1  え?
老人   人生は一炊の夢の如し‥‥。(ひとり言風につぶやく)
青年1  え?
老人   ふん、ここまで言っても、わからぬか。これだから教養のないやつは‥‥
青年1  あ!
老人   ふん、わかったか。
青年1  ‥‥あのぅ‥‥でも‥‥杜子春じゃなかったの?
老人   え。
青年1  夢の話とは違うんじゃ‥‥。
老人   ‥‥‥。
青年1  ‥‥‥。
老人   杜子春よ、よくぞ見破った! そうじゃ、これは夢の話ではない。断じて夢などではないぞ!
青年1  ‥‥‥。(疑わしそうに老人を見る)
老人   ‥‥‥。カーッ!

  セミが鳴き止む。

老人   ペッ。

  老人、切り株に座る。
  セミが鳴き出す。

老人   暑いのお。
青年1  ‥‥‥。
老人   心頭滅却すれば火もまた涼し。‥‥しかし、夏は暑いから夏である。火は熱いから火である。これも道理じゃて‥‥。
青年1  ‥‥‥。
老人   君は、火を燃やしたことがあるか?
青年1  え? ‥‥そりゃ、まあ。
老人   火を燃やすのは得意か?
青年1  え?
老人   下手くそか‥‥。そうじゃろうな。
青年1  ‥‥‥。
老人   ボーボーと燃える火はな、「俺は今燃えているな」などとは決して思わん。思わんが、すでにしてボーボーと燃えておる。それが火というものじゃ。
青年1  ‥‥‥。
老人   なまじ燃えようなどとするとかえって燃えぬ。いつまでたってもくすぶり続けるだけじゃ。‥‥なぜだかわかるか?
青年1  え?
老人   なんとなれば、火はあほうじゃ。何も考えておらぬ。‥‥火が火であるのに理由などない。ただ燃えておれば、それが火なのじゃ。
青年1  ‥‥‥。
老人   杜子春よ、少しはわかったかな?
青年1  え? ‥‥‥。
老人   ふん‥‥まだ、無理か。
青年1  ‥‥それ‥‥何なんですか?
老人   それを自分で考えるのじゃ。
青年1  そんな、もったいぶった言い方じゃわかんないですよ。
老人   ‥‥‥。
青年1  言いたいことがあるんなら、はっきり言えば‥‥
老人   馬鹿者!
青年1  わっ!

  しばしの沈黙。
  セミが鳴きだす。

老人   お前の探していたのは、これじゃろう?

  老人、ドッグ・タグを差し出す。

青年1  あ‥‥。
老人   どうじゃ? 違うかな?
青年1  どうして、それを‥‥。

  老人、ドッグ・タグを振ってみせる。
  チリン、チリンと小さな音がする。

青年1  ‥‥‥。
老人   少しはわかったかな?
青年1  ‥‥‥。
老人   どうじゃ?
青年1  ‥‥わかりません。
老人   そうか。わからんか。
青年1  ‥‥はい。

  老人、ドッグ・タグを振る。
  チリン、チリン。

老人   杜子春よ、苦しいか?
青年1  え。
老人   悔しいか?
青年1  ‥‥‥。
老人   悲しいか?
青年1  ‥‥‥。
老人   さみしいか?
青年1  ‥‥はい。

  チリン、チリン。

老人   生きることはさみしい。生きることは愚かなことじゃ。じゃがな、杜子春よ。まだまだお前に、本当のさみしさなどわかってはおらん。なんとなれば、お前はまだまだ生きてはおらんからな。お前は、まだまだダメじゃ。ワッハハハハ‥‥。
青年1  ‥‥‥。
老人   さて、そろそろ行くとするか。(立ち上がる)
青年1  え。
老人   杜子春よ、お前は、どちらに行く? 右か、左か?
青年1  え?
老人   お前が右へ行くなら、わしは左へ行こう。左へ行くなら、右へ行こう。さあ、どっちじゃ?
青年1  え‥‥どうしてですか?
老人   知りたいか?
青年1  ‥‥ええ。
老人   それはな、わしがあまのじゃくだからじゃ。
青年1  え?
老人   わかったか。‥‥さあ、どうする?
青年1  そんなこと言われても‥‥。
老人   さあ!
青年1  じゃあ‥‥右。
老人   え! ‥‥右にするのか?
青年1  え。
老人   本当に、右でいいのだな?
青年1  いや、左。
老人   何? 左?
青年1  ‥‥そんなこと言われたら、どっちも行けないじゃないですか!
老人   では、行かねばよかろう。
青年1  え?
老人   ここに、ジーッと立ち尽くしているのも一興じゃて。
青年1  え‥‥でも。
老人   では、わしは行くぞ。杜子春よ、さらばじゃ!
青年1  え。

  老人、歩き出す。

老人   あ、そうじゃ、そうじゃ。お前にこれをやるんじゃったな。ほれ。

  老人、ドッグ・タグを投げる。
  青年1、受け取る。

老人   それを何と言うか知っとるか?
青年1  ドッグ・タグ‥‥でしょ?
老人   それは俗称じゃ。正式にはな、アイデンチ、アイデンフィチチィ、アイデンチチ‥‥、ええと何だっけな(と、メモを取り出す)そうじゃ、アイデンチフィケーション・タッグと言うのじゃ。
青年1  え?
老人   お前の存在証明じゃよ。
青年1  え‥‥。

  老人、歩き出す。

青年1  待って下さい!
老人   ん?
青年1  あなたは、誰なんですか?
老人   カーッ!  

  セミが鳴きやむ。

老人   ペッ。
     いーのちーみじーかしー、こいーせよおとめー。
     あーかきーくちーびるー、あーせぬーまにー。

  老人、去る。
  セミが鳴き始める。

青年1  ‥‥‥。

  ややあって、青年2が、汗をふきふき戻ってくる。

青年2  おーい。すまん。遅くなって。

青年1  え?
青年2  アミノ式だけ売り切れになっててさ‥‥誰か買い占めて行きやがったんだよ。それで、ちょっと意地になっちゃってさ、もう一つ下の所まで行って来た。
青年1  ‥‥‥。
青年2  (汗をふき)くっそう、あついな。これじゃ何しに行ったかわかんないよ。はい。
青年1  あ、すまんな。ごくろうさん。

  二人、ジュースを飲む。
  しばしの沈黙。
  セミの声だけが聞こえる。

青年1  フフ‥‥。ハハ‥‥。
青年2  ‥‥何だよ。気持ち悪いな。
青年1  いや、さっき、変なジシイにからまれてさ。
青年2  へぇ。‥‥それで?
青年1  いや、それだけなんだけど。
青年2  何だよ、それ?
青年1  それが、ほんと、変なジジイでさ‥‥。
青年2  ‥‥‥。

  青年2、ジュースを飲む。
  青年1、ポケットからドッグ・タグを取り出す。そして、老人から受け取ったドッグ・タグと二つ重ねて振る。
  チリン、チリンとかすかな音がする。

青年2  何だよ、それ?
青年1  ‥‥おまもり。
青年2  へぇ‥‥。

  セミしぐれの中に、小さく響く音。
  青年1は、おもちゃを手にした子供のように、うれしそうにドッグ・タグを鳴らし続ける。
  やがて、まぶしい夏の陽ざしが、全てを包んでゆく。

                       おわり