ポスティング ベイビー

【これは、劇団「かんから館」が、2007年10月に上演した演劇の台本です】

少年の名はオズマ。13歳で赤ちゃんポストに捨てられた。そのオズマを引き取った育ての親、星一徹子。彼女は、オズマを愛国青年にすべくスパルタ教育を行う。その秘密兵器は名付けて「大日本帝国養成ギプス」。そこに現れるナゾの女、明子と左門京子。
彼女たちは彼を飛雄馬と呼ぶ。
俺はオズマなのか? 飛雄馬なのか? 俺は、俺は、俺は、いったい誰なんだ?
思い込んだら試練の道を、行くが男のど根性。

 

     〈登場人物〉
      オズマ
      星 一徹子
      明子
      左門 京子

      道路。
      青年(オズマ)がヒッチハイクをしている。
      手には「鬼ヶ島」のパネル。
      手を挙げて車を停めようとするが、停まる車はない。
      クラクションを鳴らされたり、排気ガスをかけられたり、散々な様子。
      やがて遠くから右翼の街宣車が走ってくる。

街宣車   ♪知恵を巡らせ 頭を使え 悩み抜け抜け 男なら
      勝つも負けるも決断一つ
      勝っておごるな 破れて泣くな‥‥
                    (アニメ「決断」テーマ曲)

      街宣車は去っていった。
      それを見送るオズマ。

オズマ  俺は。俺は‥‥。俺は‥‥負けん! 俺は勝つ!

      電柱の陰から明子が顔をのぞかせる。

明子   飛雄馬‥‥。

      「巨人の星」のテーマ曲。
      仁王立ちするオズマ。
      激しい目つぶし明かり。
      シルエット。

      暗転。

      「徹子の部屋」のテーマ曲。
       応接セットに、一徹子と京子が座っている。

一徹子  みなさん、こんにちわ。星一徹子でございます。今日も「一徹子の部屋」の時間がやってまいりました。みなさんはこのけだるくアンニュイなお昼下がりをいかがお過ごしでしょうか?
さて、今日お迎えする素敵なお客様は、左門京子さんでいらっしゃいます。
左門さん、はじめまして。
京子   ‥‥はじめまして。
一徹子  さて、左門さんは、「一徹子の部屋」には初めてのご登場でいらっしゃいますが、今日はどのようなお話でございましょうか?
京子   飛雄馬を‥‥、飛雄馬を返して下さい!
一徹子  はあ?
京子   だから、飛雄馬を返して下さい!
一徹子  ‥‥飛雄馬さん‥‥とおっしゃいますと?
京子   とぼけないで下さい! あんたのところに飛雄馬はいるでしょう?
一徹子  まあまあそう興奮なさらないで。‥‥いったい何をおっしゃってるんですか?
京子   だから、飛雄馬を返して下さい!
一徹子  ‥‥そう言われても。‥‥困りましたねぇ。‥‥あの、その飛雄馬さんってどなたなんですか?
京子   まだ、とぼけるのか、この女は! 飛雄馬は飛雄馬だよ!
一徹子  そうおっしゃられても、わたくしは、その飛雄馬さんを存じ上げないのですが‥‥。
京子   このアマ‥‥。そこまでシラを切るのなら、教えてやるよ。「こうのとりのゆりかご」は知ってるだろう?
一徹子  こうのとりのゆりかご
京子   そうだ。あの「こうのとりのゆりかご」、赤ちゃんポストだよ!
一徹子  ‥‥‥。
京子   あの赤ちゃんポストに十三歳の男の子が入れられていた事件があっただろう? 新聞でもテレビでもあんだけ騒がれたんだ。知らないとは言わせねえよ!
一徹子  ‥‥‥。じゃあ、もしかして‥‥?
京子   そうだ。あの男の子が飛雄馬だ。あたしの子だ!
一徹子  ‥‥‥。実に衝撃的なご告白でございましたが、それではこの続きはCMの後で‥‥。
京子   おい、こら、途中で切るな!

      暗転。
      CM。

      オズマが立っている。

オズマ  俺の名前は、アームストロング・オズマ
どこをどう見ても欧米人ではないが、どうしてそんな名前になったのかは、わからない。
わからないのは、それだけではない。俺には、少年時代の記憶が全くない。
後で聞いた話によれば、俺は捨て子だったらしい。十三歳の時に捨てられて、それを今の母親が拾って育てたそうだ。
十三歳と言えば、中学生だ。でも、俺は学校というところに行ったことがない。言葉も、字も、あらゆる知識は母親に与えられて今日まで来た。そして、そのことに何の疑問も感じなかった。自分がアームストロング・オズマであることにも、十三歳までの記憶がないことにも、何の疑問も感じなかった。いや、感じるヒマがなかったというのが、本当かもしれない。あの人は、俺に考えることを許さなかった。疑問を持つことを許さなかった。ただ、教えられたことを覚え、与えられたレールの上をまっすぐに走ることしか許さなかった。
一徹子  オズマ。今年は何年?
オズマ  はい、皇紀二六六七年であります。
一徹子  オズマ。私達皇国臣民のモットーは?
オズマ  はい、欲しがりません、勝つまでは。贅沢は敵だ。鬼畜米英討ちてし止まん!
一徹子  オズマ。大東亜戦争に勝ったのは?
オズマ  はい、我が大日本帝国であります。
一徹子  謹んで宮城に遙拝!
オズマ  はっ!(敬礼)

      君が代
      オズマ、一徹子、遙拝。

オズマ  その俺が、「疑問」という二文字を心に抱くようになったのは、あの人に出会ってからのことだった‥‥。

      電柱の陰から、明子が顔をのぞかせる。

明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  ‥‥‥。
明子   飛雄馬‥‥。

      オズマ、周りを見回す。
      誰もいない。

オズマ  ‥‥‥。
明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  ‥‥あのぅ、私を呼んでますぅ?
明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  ‥‥あのぅ、誰かとお間違えではありませんか?
明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  だから‥‥。
明子   ああ、あなたはもう、何もかも忘れてしまったのね‥‥。(泣く)
オズマ  あ。
明子   ‥‥いいの、いいのよ。あなたのせいじゃないんですものね。(泣く)
オズマ  ‥‥‥。
明子   いいの、いいのよ。どうぞ気にしないで。どうせ私は日陰の女。(泣く)
オズマ  あのぅ‥‥。
明子   しくしくしくしく。(泣く)
オズマ  あのぅ‥‥あの、すみません。よかったら、お名前を教えていただけませんか?
明子   ‥‥明子です。
オズマ  明子‥‥さん?
明子   そうです。星明子です。
オズマ  星明子? じゃあ、もしかして?
明子   そうです。私は、あなたの姉です。
オズマ  姉さん? ‥‥いえ、私には兄弟はいません。
明子   飛雄馬、どうしてそんなことを言うの?
オズマ  だから、私は、飛雄馬ではありません。
明子   どうして? どうして、昔みたいに「明子ねえちゃん」って呼んでくれないの?(泣く)
オズマ  ‥‥お願いだから、泣かないで下さい。
明子   ‥‥‥。
オズマ  明子さん。
明子   明子ねえちゃんって呼んで。
オズマ  ‥‥ア・キ・コ・ネ・エ・チ・ャ・ン‥‥。
明子   飛雄馬! やっぱりあなたは飛雄馬なのね!
オズマ  だから、違いますって! 私は、オズマ。アームストロング・オズマです。
明子   アームストロング・オズマ
オズマ  そうです。
明子   ‥‥あの人ね。
オズマ  え?
明子   あなたはあの人にだまされてるのよ。洗脳されているんだわ。
オズマ  ‥‥あの人って?
明子   星一徹子。
オズマ  えっ、あなたは、母さんを知ってるんですか?
明子   あの人は母さんなんかじゃありません!
オズマ  ‥‥それは、そうですが。
明子   ‥‥星一徹子、どこまで恐ろしい人なの?
オズマ  あの‥‥よかったら、母さん、いえ、あの人について教えて下さい。
明子   ‥‥知ってどうするの?
オズマ  え?
明子   あの人について知る必要なんかないわ。
オズマ  だって‥‥。
明子   だって何?
オズマ  ‥‥‥。
明子   でも‥‥一つだけ覚えておいてもいいかもしれない。
オズマ  え?
明子   あの人はねぇ‥‥。
オズマ  あの人は?
明子   あの人は、鬼よ。
オズマ  え?
明子   そう、星一徹子は鬼よ。
オズマ  え?
明子   それと、もう一つ。あなた、鏡を見た方がよくってよ。
オズマ  え?
明子   その顔のどこがアームストロング・オズマなの? 鏡を見て、よおくお考えなさい、坊や。オーホッホッホッホッ。オーホッホッホッホッ‥‥。

      明子、踊りながら去る。

オズマ  あ、明子さん!

      立ち尽くすオズマ。
      間。

オズマ  ‥‥飛雄馬? アキコネエチャン? 母さんは鬼?
何が何だか、さっぱりわからない‥‥。
あの人はどこから来たのか? いや、俺はどこから来たのか?
俺は‥‥俺は、俺は、いったい誰なんだあ!
ガーン!ガーン!ガーン!ガーン!(一人エコー)

      暗転。

      オズマと一徹子が立っている。

オズマ  育ててもらった負い目もあったのだろう。俺は、母さんの言うことには何でも従順に従った。母さんの言いつけや命令には理不尽なことも少なからずあったが、俺はそれに逆らったり、疑問を差し挟むことすらしなかった。
たぶん、それ以外の生き方を知らないせいでもあったのかもしれないが‥‥。
だが、あれは、確か十七歳の時だった。一度だけ母さんに面と向かって逆らったことがあった。
あれは、遅まきながら俺に訪れた反抗期だったのかもしれない。

      オズマ、ヘッドギアのようなものを頭に着ける。

オズマ  母さん、もうイヤなんだよ!(身もだえる)
一徹子  何がだ?
オズマ  母さん、俺が友達に何て呼ばれてるか知ってる?
一徹子  何だ?
オズマ  オウム君だよ、オウム君!
一徹子  ほお。
オズマ  ほお‥‥じゃないだろ!
一徹子  ‥‥‥。
オズマ  俺さ、母さんの言うこと何でも聞いてきただろ? 便所そうじだって毎日してるし、風呂も洗ってるし、洗濯だって、アイロンがけだってしてる。スーパーに買い物だって行くし、料理だって和洋中華何でも作るし、日曜大工も縫い物だってやってる。
一徹子  当たり前だ。
オズマ  庭掃除も、回覧板も、近所の奥さんとの井戸端会議だって欠かさずにやってる。
一徹子  当たり前だ。
オズマ  イヌの散歩だって、新聞配達だって、町内会の夜回りだって、地蔵盆だって、クリスマス会だって、お誕生会だって、バザーだって、消防団だって、廃品回収だって、ゴミの分別当番だって、文句を言ったことはないよね。
一徹子  当たり前だ。
オズマ  俺、オズマって呼ばれるとみんなが振り向くから相当恥ずかしいんだけど、がまんしてたんだよ。弁当に梅干し一個でも隠さないで堂々と食べるのは、けっこうヘビーなんだけど、我慢してたんだよ。母さん知ってた?
一徹子  何が言いたいんだ?
オズマ  でも‥‥でも、これだけはイヤなんだよ!このヘッドギア。
昔、オウムなんとか教ってあっただろ? あそこの信者みたいだって、俺のことをオウム君とか言って、みんなで♪ショーコーショーコーショコショコショーコー、アーサーハーラーショーコーって歌うんだよ。
一徹子  ヘッドギアって言うな。
オズマ  ヘッドギアはヘッドギアじゃないか!
一徹子  ‥‥オズマ、お前、それを友達に見せたのか?
オズマ  見せるも何も、頭に着けてんだから見えるじゃんか!
一徹子  このたわけがー!(オズマにビンタ!)

      オズマ倒れる。

一徹子  これをヘッドギアなどと二度と言うでないわ。その時は、もう親でもなければ、子でもないと思え!
これはな、ヘッドギアなどという軟弱な代物ではない。名付けてズバリ!
オズマ  ズバリ‥‥?
一徹子  大日本帝国養成ギプス!
オズマ  だ、大日本帝国養成ギプス!?

      「十七歳の地図」(尾崎豊
      ダンス!

一徹子  皇紀二六〇五年、大東亜戦争終戦を迎えた後、憎っくき鬼畜米英、欧米列強の下僕と成り下がり、大東亜共栄、五族協和大義を失い、カネの亡者と成り果てたあさましき日本人に、再び皇国の矜恃を呼び覚まし、去勢されたる家畜の精神にますらおの誇りを注入せしめんとするはこのギプスぞ。
畏れ多くも耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、人となり給いしすめらみことに、再び現人神として鎮座ましまされんことを請い奉りし一億皇国臣民の願いをば結晶せしはこのギプスの霊験なるぞ。そなたにオズマという毛唐まがいの名を名付けしも、ひとえに鬼畜米英に陵辱されたる高千穂のいなほの国の艱難恥辱を忘れざらしめんがためなるぞ。リメンバーヒロシマ!リメンバーナガサキ君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで!

      一徹子、神懸かりになって絶叫する。
      目つぶしの明かり。
      音楽消える。
      一徹子消える。
      オズマ一人残される。

オズマ  ‥‥大日本帝国養成ギプス‥‥か。

      オズマ、静かにヘッドギアをはずす。

オズマ  俺の人生も、因果なものだな‥‥。
     あれだけいじめられ、苦しめられても、どうやら母さんの子供でなくなってしまうのは困るらしい‥‥。

      オズマ、ヘッドギアを見つめ、静かに笑う。

      暗転。

   「徹子の部屋」のテーマ曲。
   一徹子と京子が座っている。

一徹子  みなさん、こんにちわ。星一徹子でございます。今日も「一徹子の部屋」の時間がやってまいりました。みなさんはこのけだるくアンニュイなお昼下がりをいかがお過ごしでしょうか?
京子   一徹子さん、どうかなさいましたか? ひどくお疲れのようですが?
一徹子  左門さんこそ、息が上がっていらっしゃいませんこと?
一徹子・京子   あら、そうかしら? オーホッホッホッホッ。
一徹子  申し遅れましたが、お迎えする素敵なお客様は、今日も左門京子さんでいらっしゃいます。左門さん、こんにちわ。
京子   こんにちわ。
一徹子  さて、左門さん、今日のご用件は?
京子   飛雄馬を返して下さい。
一徹子  左門さん、あなたも相当しつこくていらっしゃるのね。
京子   今日という今日は、あの子を返してもらうまで、あては帰りまへんで。
一徹子  あれ、あなた確か九州出身でいらっしゃったのじゃなかったかしら?
京子   細かいことはどうでもよろし。さ、貸したもんは返すんが世の中の仁義でっしゃろ? さっさと返してもらいまひょか?
一徹子  あら、あなた、ガラもお悪くていらっしゃるのね。
京子   (手を出して)さあ、さあ、さあさあさあさあ!
一徹子  ですから、何度も申し上げておりますように、その飛雄馬さんって方は存じ上げません。
京子   ねえちゃん、しらばっくれてもあかんで。調べはちゃんとついとるんや。
一徹子  調べとおっしゃいますと?
京子   あんた、うちの飛雄馬に、なんや妙な名前を付けたはるらしいなあ? アームストロングなんとかちゅう‥‥。
一徹子  オズマです。アームストロング・オズマ
京子   そや、オズマや!
一徹子  それで?
京子   何言うとんじゃ、われ! はよ、そのオズマを出さんかい!
一徹子  これは不思議なことをおっしゃいますね。
京子   何やと!
一徹子  その飛雄馬さんっておっしゃる方とオズマがどうして同一人物だとわかるんですか?
京子   細かいことをごたごたぬかすな! わかるもんはわかるんじゃ!
一徹子  おやおや、関西の方は、お言葉もお理屈も荒っぽくていらっしゃること。ホッホッホッ。
京子   われ、しまいにいてもたるど!
一徹子  まあ、私も大人ですから、仮に飛雄馬さんとオズマが同一人物だとしておきましょう。ですが、あいにく、お会いさせることは致しかねます。
京子   なめとんのか!
一徹子  なめませんよ、そんな物。
京子   何を!
一徹子  まあまあ、そう興奮なさらないで。‥‥わたくし、あいにくって申しましたでしょう? あいにく。あいにく、オズマはいませんのですよ。
京子   どこ行ったんじゃ?
一徹子  旅に出ました。
京子   旅?
一徹子  ‥‥では、ここでお知らせです。

      暗転。
      CM。

      オズマが立っている。

オズマ  俺は旅に出た。
別に行き先やあてがあるわけじゃない。目的もない。
一昔前なら、こういうのを自分探しの旅とでも言ったんだろうが、あいにく俺のはそんなおしゃれな旅ですらない。
まあ、あえて言うなら「死に場所」を探す旅だ。別にそんなに深刻な意味じゃない。あえて言うなら、だ。

      明子が電柱の陰に現れる。

明子   飛雄馬‥‥。

オズマ  やれやれ、また、あの人だ。どこでどうかぎつけて来るのか、俺の行く先々にはいつもあの人が待っている。まるでストーカーだ。あの人はいったい何者なんだ?
もっとも、今の俺には、それもどうでもいいことのように思える。
あの人が俺の姉さんなのかどうかさえ、今の俺にはどうでもいいことだ。

明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  やあ、また会いましたね。
明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  その飛雄馬って呼ぶの、やめてくれませんか? 俺はオズマです。アームストロング・オズマ
明子   いいえ。あなたは飛雄馬です。
オズマ  ‥‥‥。(困った顔)じゃあ、飛雄馬でいいです。
明子   飛雄馬‥‥。
オズマ  立ち話も何ですし、座りませんか?
明子   そうね。

      オズマと明子、座る。

オズマ  ‥‥あの‥‥ご趣味は?
明子   え? はあ‥‥バレエとダンスを少々。
オズマ  ああ‥‥それで。‥‥なるほど。
明子   え?
オズマ  いや、別に何でもありません。
明子   はあ‥‥。
オズマ  なるほどねぇ。
明子   それと、あなたを追いかけることかな?
オズマ  え?
明子   ウソウソ、冗談。
オズマ  ああ。
明子   ‥‥だと思う?
オズマ  え? ‥‥それは‥‥どっちの意味ですか?
明子   さあ?
オズマ  「だと思う?」はどっちにかかってるんですか? 俺を追いかけることなのか、冗談の方なのか?
明子   ウフフフフ。
オズマ  そういうのっていらつくんですよ。女の人は、そういう時にすぐ笑う。
明子   ‥‥笑っちゃダメ?
オズマ  ダメです。
明子   そう。
オズマ  はい。
明子   ふーん。どっちかな?
オズマ  え? ‥‥あのぅ、俺が聞いてるんですけど。
明子   ねぇ、飛雄馬はどっちだと思う?
オズマ  わかりません。
明子   そんなにすぐ答えないで、考えてよ。
オズマ  ‥‥降参です。もう許して下さいよ。
明子   もう! ‥‥つまんない人ね。

      間。

オズマ  ‥‥俺、つまんないっすよね。
明子   え?
オズマ  ‥‥そんなつまんない俺をどうして追いかけるんですか?
明子   さあ‥‥?
オズマ  だから‥‥
明子   あなたが飛雄馬だからよ。
オズマ  え?
明子   飛雄馬を明子が見守る。‥‥これは宿命なの。アダムとイブが禁断の果実を食べてしまうように、ブルータスがシーザーを裏切るように、ロミオがジュリエットを愛するように、太陽が東から昇って西に沈むように、定められた掟なの。
オズマ  あのぅ、たとえがよくわからないんですけど‥‥。
明子   あなた、「巨人の星」を読んだことがないの!?
オズマ  ‥‥はあ。名前ぐらいは知ってますけど。
明子   そっかあ‥‥。それじゃ仕方ないわね。
オズマ  はあ‥‥。
明子   若いんだあ‥‥。ウフフフ。
オズマ  ‥‥‥。
明子   じゃあ、聞くけど、あなたはどうして旅をしているの?
オズマ  ‥‥さあ?
明子   あれ? そういうのは女が言うんじゃなかったの?
オズマ  いえ、理由はある‥‥ような‥‥ないような‥‥。
明子   何よ! 男だったらはっきりしなさいよ!
オズマ  はい‥‥すみません。
明子   飛雄馬、男がそんなに簡単に謝ったらだめよ!
オズマ  はい、すみま‥‥(口をふさぐ)
明子   フフフフ‥‥。
オズマ  へへへへ‥‥。

      間。

オズマ  ‥‥死に場所‥‥死に場所を探してるのかな?
明子   え? 死に場所?
オズマ  ‥‥よくわかんないけど。
明子   どうして死に場所なんか?
オズマ  ‥‥さあ?
明子   あ、また言った。
オズマ  へへへへ‥‥。
明子   フフフフ‥‥。

      間。

オズマ  ‥‥母さん、いえ、あの人が言ってたんです。
明子   え? 何て?
オズマ  ‥‥いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
明子   え?

      一徹子が浮かび上がる。

一徹子  オズマ、いくつになった?
オズマ  はい、ハタチです。
一徹子  昔で言えば元服だ。お前も一人前になったわけだ。その意味はわかるな?
オズマ  はあ‥‥いえ、はい。
一徹子  どういう意味だ?
オズマ  ‥‥‥。
一徹子  どうした?
オズマ  はい。わかりません。
一徹子  このあほうが!(平手打ちの音)
オズマ  (頬を押さえながら)はい、すみません。
一徹子  オズマ! 男がそんなに簡単に謝るものではないわ!
オズマ  はい、すみま‥‥(口をふさぐ)
一徹子  ありがとうございます。
オズマ  は?
一徹子  まだわからんか! このあほうが!(平手打ちの音)
オズマ  (頬を押さえながら)はい‥‥ありがとうございます!
一徹子  よし!
オズマ  ‥‥‥。

      しばしの間。

一徹子  いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
オズマ  え?
一徹子  いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。孔子の言葉だ。よく覚えておけ。
オズマ  はい。
一徹子  ‥‥言ってみよ。
オズマ  は?
一徹子  さっさと言わんか!
オズマ  まだ‥‥まだ生を知らず‥‥えぐ‥‥えぐじすと‥‥
一徹子  このあほうが!(平手打ちの音)
オズマ  (頬を押さえながら)ありがとうございます!
一徹子  いまだ生を知らず。
オズマ  いまだ生を知らず。
一徹子  いずくんぞ死を知らん。
オズマ  いずくんぞ死を知らん。
一徹子  いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
オズマ  いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
一徹子  どういう意味だ?
オズマ  は?
一徹子  この言葉の意味するところを七十五字以内で簡潔に述べよ。なお、句読点は字数として数える。
オズマ   えー? ‥‥わかりません!
一徹子  このあほうが!(平手打ちの音)
オズマ  (頬を押さえながら)ありがとうございます!
一徹子  ‥‥昔、幕末の英雄坂本龍馬は、明日をも知れない日々の中でこう言ったという。
「たとえどぶの中でも前のめりに死にたい」
オズマ  はあ‥‥。
一徹子  そう言うことだ。
オズマ  は?
一徹子  まだわからんのか! このあほうが!(平手打ちの音)
オズマ  (頬を押さえながら)ありがとうございます!
一徹子  ‥‥「葉隠」の中にこういう有名な言葉があるのはお前も知っていよう。
「武士道とは死ぬることと見つけたり」
オズマ  はあ‥‥。
一徹子  そう言うことだ。
オズマ  は?

      オズマ、反射的に頬を押さえて吹っ飛ぶ。

一徹子  あほう。まだ、なぐってはおらん。
オズマ  ‥‥‥。
一徹子  よく生きるためには、よく死なねばならん。よく死ぬることは、すなわち、よく生きることに通ず。
オズマ  ‥‥‥。
一徹子  オズマよ。‥‥お前の生き場所はどこだ? お前の死に場所はどこだ?
オズマ  ‥‥‥。
一徹子  それを見つけるまでは、帰って来るではないわ!
オズマ  はい!

      一徹子、消える。
      間。

明子   ‥‥なるほどね。
オズマ  ‥‥‥。
明子   あの人の言いそうなことだわ。
オズマ  ‥‥‥。
明子   ‥‥それで、あなたはあの人に言われて旅に出たわけ?
オズマ  ‥‥いや、そういうわけでも‥‥。
明子   そういうわけでなかったら、何?
オズマ  ‥‥‥。
明子   ‥‥星一徹子。やっぱりあの人は鬼ね。
オズマ  あのぅ‥‥それってどういう意味ですか?
明子   まだわからんのか! このあほうが!(一徹子のマネ)

      オズマ、反射的に頬を押さえて吹っ飛ぶ。

明子   アハハハハ‥‥。
オズマ  ヘヘヘヘ‥‥。
明子   ‥‥あの人はねぇ、そうやって何人もの若者を死なせてきたのよ。
オズマ  え?
明子   飛雄馬、あなた、スワンソングの伝説は知ってる?
オズマ  ‥‥いいえ。
明子   白鳥はね、死ぬ時に一番美しい声で歌を歌うって言われているの。
オズマ  ‥‥‥。
明子   若い人が、死を美化し、死にあこがれる気持ちはわからなくもないわ。‥‥でも、あなたは死んじゃだめよ。死んだら、何もかもおしまいなんだから。
オズマ  ‥‥はい。
明子   別に美しく死ななくてもいいの。あがいてもがいて反吐を吐いて反吐まみれになって、どんなに見苦しくても生き続けなさい。
オズマ  ‥‥はい。
明子   スワンソングを聞いちゃダメよ。どんなにつらくても悲しくても耳をふさぎ逃げ続けるのよ。
オズマ  はあ‥‥。
明子   ‥‥本当にわかってる?
オズマ  はあ‥‥。
明子   あなたにはまだ難しいかもしれないわね。体は大きくなっても、まだまだ子供なんだから。
オズマ  そんなことはありません。
明子   無理しなくてもいいわ、坊や。あなたにもいずれわかる日が来るだろうから。オーホッホッホッホッ。オーホッホッホッホッ‥‥。

      明子、踊りながら去る。

オズマ  あ、明子さん!

      立ち尽くすオズマ。
      間。

オズマ  ‥‥母さんが何人もの若者を死なせた? 反吐まみれになって生き続けろ? スワンソングを聞くな?
何が何だか、さっぱりわからない‥‥。
あの人は何者なんだ? いや、母さんは何者なんだ?
俺は‥‥俺は、俺は、いったいどこへ行くんだあ!
ガーン!ガーン!ガーン!ガーン!(一人エコー)

      暗転。

      夜。
      オズマが野宿している。

      遠くから、京子の生き霊がやって来る。

京子   飛雄馬、飛雄馬、飛雄馬、飛雄馬‥‥。(一人エコー)
オズマ  ううーん。(寝ている)
京子   飛雄馬、飛雄馬、飛雄馬、飛雄馬‥‥。
オズマ  ううーん。(寝ている)
京子   起きて、起きて、起きて、起きて‥‥。
オズマ  ううーん。(寝ている)
京子   飛雄馬、母ちゃんだよ、母ちゃんだよ、母ちゃんだよ‥‥。
オズマ  ううーん。(寝ている)
京子   ほら、顔を見せて、顔を見せて、顔を見せて‥‥。
オズマ  ううーん。(寝ている)

      京子の生き霊、オズマの顔に触ろうとする。

オズマ  うわっ!

      ガバッと起き上がるオズマ。
      生き霊、あわてて飛びのく。

オズマ  ‥‥フーッ、夢か‥‥。恐ろしい夢だった‥‥。

      オズマ、汗をふく。

京子   どんな夢だい、夢だい、夢だい‥‥?
オズマ  ‥‥俺の母親だと名乗る鬼婆が、俺をとって食おうとしてるんだ‥‥。
京子   そいつはどんな顔だい、顔だい、顔だい‥‥?
オズマ  とてもこの世のものとは思えないような、それはそれは恐ろしい顔だった‥‥。
京子   それはこんな顔じゃなかったかい?

      オズマ振り向く。

オズマ  うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!

      オズマ、後ずさりする。

京子   おまえが飛雄馬かい? ずいぶん大きくなったねぇ。
オズマ  あ、あ、あんたは誰だ?
京子   何いってるんだい? あんたの母ちゃんだよ、飛雄馬
オズマ  母ちゃん?
京子   そうだよ。思い出してくれたかい?
オズマ  ‥‥母ちゃんと名乗るあんたは誰だ?
京子   だからお前の母ちゃんだよ。
オズマ  だから、いったい誰なんだ?
京子   母ちゃんは母ちゃんだよ。
オズマ  誰と言ったら誰なんだ?

      間。

      京子泣き始める。

京子   ‥‥あたしゃ悲しいよ。自分のお腹を痛めて産んだ子に、こんなことを言われるなんて‥‥。
オズマ  ‥‥‥。
京子   ‥‥飛雄馬、やっぱりあんたはあたしを恨んでいるんだねぇ。‥‥そりゃそうだよねぇ、いたいけな十三の幼子を置き去りにした鬼母が、‥‥いまさら、母ちゃんなんて名乗れる義理ではないわいなあ‥‥。(歌舞伎調)
オズマ  ‥‥‥。

      演歌のBGM。

京子   今更言い訳しても許してもらえはしないだろうけど‥‥あたしだって、好きでお前を捨てたわけではないんだよ。‥‥これというのもみんな貧乏が悪いのよ。‥‥貧乏人の子だくさん、食うや食わずの生活に、漁師だった父ちゃんが、無理して嵐の海に出て、それきり帰らぬ人となり、母親一人の細腕で、子供達だけは飢えさすまいと、昼は行商、夜はクラブの水商売、それでもどうにもならなくて、飢えて死ぬよりはいっそ誰かの温情に、甘えて育ててもらえないかと、ふと出来心でこうのとり、出しては後悔先に立たず、寝ても覚めても思うはお前のことばかり、こんなおろかな母親を、もしも情けがあるならば、せめてせめて哀れにおぼし召せ。

      京子、よよよ‥‥とむせび泣く。
      演歌、終わり。

京子   ひゅうまあ?‥‥(涙声)。
オズマ  ‥‥‥。
京子   ひゅうまあ?‥‥。
オズマ  ‥‥あんた‥‥本当に俺の母ちゃんなのか?
京子   飛雄馬
オズマ  ‥‥俺の本当の母ちゃんなのか?
京子   飛雄馬! ‥‥そうだよ、あたしはあんたの母ちゃんだよ!
オズマ  本当なのか‥‥?
京子   ああ、本当だとも。あんたはあたしがお腹を痛めて産んだ子なんだよ。
オズマ  ‥‥‥。
京子   ‥‥さあ、せめて手を握らせておくれ。
オズマ  ‥‥証拠は?
京子   え?
オズマ  あんたが俺の実の母親だという証拠はあるのか?
京子   ‥‥そんなことを言われてもねぇ‥‥。
オズマ  それでは俺はあんたの言うことを信用することはできない。
京子   ‥‥困ったねぇ‥‥。何かないかねぇ‥‥。
オズマ  ‥‥‥。
京子   ああ、そうだ! あんた、寝小便するだろ? それが北海道の形になって‥‥。
オズマ  俺はもう子供じゃないよ。
京子   ああ、そうだ! あんた、エビとトリが食えないだろ?
オズマ  ‥‥ああ‥‥確かに。でも、エビとトリが食えないだけではな‥‥。
京子   じゃあ、じゃあ、こういうのはどうだい? あんたの尻の上にはホクロがあるだろ?
オズマ  あ‥‥ああ。
京子   死んだ父ちゃんが、こいつは巨人の星だって言ってたんだ。だからよおく覚えてる。
オズマ  し、しかし‥‥尻の上にホクロがある人間は、俺だけではないだろうし‥‥。
京子   何だい、ずいぶんうたぐり深いんだねぇ‥‥。そんなに疑われると母ちゃん、泣けてくるよ。
オズマ  でも‥‥こういうことは、念には念を入れないと‥‥。
京子   ‥‥‥。
オズマ  ‥‥‥。
京子   ‥‥わかったよ。それじゃあ、これが最後の証拠だ。
‥‥飛雄馬、あたしの目を見ておくれ。この目がウソをついてる目かどうか、あんたの目で確かめておくれ。‥‥ほんとの親子なら心と心が通じ合うはずだよ。
オズマ  ‥‥‥。
京子   さあ、あたしの目を見て!

      オズマ、京子の目を見る。
      しばしの間。

京子   ‥‥どうだい?
オズマ  ‥‥‥。か、かあちゃ‥‥

一徹子の声   そうはいかんざき!

      一徹子が現れる。

一徹子  オズマ! その手は桑名の焼きハマグリよ!
オズマ  か、母さん!
一徹子  血迷ったか、左門京子! 生き霊になってまでこの子に忍び寄るとは!
京子   出たな妖怪! そいつはこっちのせりふだよ!
一徹子  南無八幡大菩薩! 悪霊退散! 禁じ手魔送球ビーム!
京子   格差社会逆ギレ大貧民ビーム!

      ビームとビームがぶつかり合う。

一徹子  おのれ、ど貧民、なかなかやるな‥‥。
京子   ネット右翼、お前もな‥‥。
一徹子  飛び道具がダメなら、力で勝負だ!
京子   おう、望むところよ!
一徹子  その老体がどこまで持ちこたえられるかな?
京子   ネンネのお嬢様に何ができるってんだ?
一徹子  いくぞ!
京子   おう!

オズマ  やめろ!

一徹子・京子   え‥‥。
オズマ  ‥‥二人ともやめてくれ!
一徹子  オズマ‥‥。
京子   飛雄馬‥‥。

      「けんかはやめて」(河合奈保子

オズマ  もう‥‥いいかげんにしてくれよ。‥‥あんたたち、俺の人生をもてあそぶのはやめてくれ。
そりゃ、つまんない人生かもしれないけど、これはこれで、俺にはたった一つの人生なんだよ。‥‥そして、俺の人生なんだよ。
一徹子  オズマ‥‥。
京子   飛雄馬‥‥。
オズマ  ‥‥俺の人生ぐらい、俺が決めてもいいだろう?
‥‥お願いだから、俺を一人にしてくれ!
一徹子・京子   ‥‥‥。
オズマ  ‥‥お願いします。

      一徹子、京子消える。

      長い間。
      オズマ、やがて遠い星を見つめる。

オズマ  ‥‥なあ‥‥俺の人生ぐらい‥‥俺が決めてもいいだろ?

      暗転。


    
   「徹子の部屋」のテーマ曲。
   一徹子と京子が座っている。

一徹子  みなさん、こんにちわ。星一徹子でございます。今日も「一徹子の部屋」の時間がやってまいりました。みなさんはこのけだるくアンニュイなお昼下がりをいかがお過ごしでしょうか?
京子   けだるくではなくて、ひどくだるくてでしょう?
一徹子  あーら、まだいらっしゃったの? 何だか最近、よくお会いしませんこと?
京子   そうかしら? きっと気のせいですわ。若年性アルツハイマーじゃないかしら? 一度脳検査でもなさったら?
一徹子  そうおっしゃるあなたこそ、タヌキの霊でもついていらっしゃるんじゃないかしら? 一度お払いでもしてもらったらいかが?
京子   何をおっしゃる
一徹子  タヌキさん
一徹子・京子   オーホッホッホッ‥‥。
一徹子  それで今日は何のご用件で? ‥‥まあ、想像はつきますけどね‥‥。
京子   今日は‥‥取り引きに来ました。
一徹子  え‥‥取り引き?
京子   そう、取り引きです。
一徹子  取り引き‥‥とおっしゃると?
京子   あなたがどうしても飛雄馬を返さないとおっしゃるなら、その理由と、それから、あなたがどうして飛雄馬を引き取り、どう育てようとしているのかを伺いたいと思います。
一徹子  ‥‥‥。
京子   それぐらいは答えていただけますよね。
一徹子  それは‥‥。
京子   それは?
一徹子  ‥‥言えません。
京子   え‥‥どうして!
一徹子  ‥‥言っても無駄だからです。
京子   それはどういう意味ですか?
一徹子  あなたに言っても無意味です。
京子   ‥‥あんた、なめてんの!
一徹子  まあ、興奮しないで。‥‥より正確に申し上げますと、言ってもあなたには理解できないでしょう。
京子   できるか、できないか、言いもしないでわからんだろうが!
一徹子  まあ、わかりますけどね‥‥。
京子   ごちゃごちゃもったいつけずに言いやがれってんだ、この野郎!
一徹子  そこまでおっしゃるなら、申し上げなくもないですが‥‥。まあ、よおくお耳をかっぽじってお聞き下さいね。
京子   さっさと言いやがれ! この野郎!
一徹子  ‥‥敷島の大和心を人問わば
京子   ‥‥?
一徹子  朝日に匂う山桜花。
京子   ????
一徹子  ほーらね。‥‥はい、リッスン・アンド・リピート。
敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花。
京子   しきしまパンとやまざきパンをひとくわば‥‥?
一徹子  朝日に匂う山桜花。‥‥どう? お分かりになって?
京子   ‥‥ち、ちくしょう。馬鹿にしやがって‥‥。

明子の声   敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花。
一徹子  そ、その声は?

      明子、現れる。

一徹子  明子!
明子   ごぶさたしています。(礼)
一徹子  い、今、本番中だから‥‥。
明子   敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花。
その心は、
同じ花なら散るのは覚悟。
一徹子  ‥‥‥。
明子   見事散りましょ国のため。
一徹子  ‥‥‥。
明子   違うかしら?
一徹子  ‥‥‥。明子。何しに来たの?
明子   私がそれを答える前に、あなたが先に答えて下さい。
一徹子  ‥‥‥。
明子   イエスかノーか。はっきり答えて下さい。
一徹子  ‥‥‥。
明子   さあ!
一徹子  フフ‥‥。もし、そうだとしたらどうなの?
明子   私はあなたを許しません。
一徹子  フフ‥‥。許すも何も、あなたと私は、もう親でもなければ子でもない。赤の他人じゃないの?
明子   そういう問題じゃありません。人間として許さないと言っているのです。
京子   ‥‥あのぅ、私、ここにいるんだけど‥‥。その女の人は誰なのさ?
一徹子  あんたには関係ないの!
京子   関係ないって‥‥私、ゲストよ! 無視しないでよ!
明子   すみませんが、これは二人の問題なんです。
京子   私も話に入れてよ!
一徹子・明子   あなたは黙ってて!
京子   もう! 二人声そろえて言わなくてもいいじゃない!
一徹子  ‥‥‥。
明子   ‥‥‥。
京子   もう!

      京子、ふてくされて座る。

一徹子  ‥‥人間として、とは大きく出たわね。
明子   ‥‥はい、出ました。
一徹子  私ね、そういう物言いする人間が嫌いなのよ。「人間として」とか「人類として」とか「地球市民として」とか‥‥そんな漠然とした人間なんてどこにいるのよ?
明子   ここにいます。一人一人がそう意識した時、その人は人類であり、地球市民なのです。
一徹子  そんなのちゃんちゃらおかしいわ。自分の国も愛せない人間が人類を愛す? 地球を愛す? そんなの西洋かぶれの頭でっかちな机上の空論よ。
明子、目を覚ましなさい。人間はね、大地に足をつけてしか生きられないのよ。先祖の血と汗と涙の上に立っている自分の姿をしっかり見つめなさい。民族の連綿と築かれた歴史と伝統の前に謙虚にぬかずくのです。自分の体に脈々と流れる日本人の血に深く恥じ入りなさい。
明子   その血にまみれて死ねと言うのですか? その血を守るために自分を殺し、犠牲にしろと言うのですか?
一徹子  その血と血のつながりの中に伝統が生まれるのです。その尊い死と死の中から国を愛する志が生まれるのです。
明子   一人の命は地球より重いのです。死んで花実が咲くものですか!
一徹子  七生報国。七たび生まれ変わって国に報いるのです!
京子   ちょっと、ちょっと。あんたたち黙って聞いていれば、血とか死ぬとか、何かぶっそうなことを言ってるけど、まさか飛雄馬のことを言ってるんじゃないでしょうね?
一徹子  いいえ、オズマです。
明子   そう、飛雄馬です。
京子   もう、どっちでもいいけど、飛雄馬が死ぬとか、縁起でもないことを言ってるんじゃないでしょうね?
一徹子  それが何か?
京子   ええっ! あんた気でも狂ったのかい?
明子   そうです。この人は狂っています。
一徹子  何を言うか! この非国民が!
京子   もう、わたしゃわけがわからないよ! どうして飛雄馬が死ななきゃならないのさ!
明子   それは、この人に聞いて下さい。
京子   そうかい? ‥‥ねえ、あんた、何でそんな無茶苦茶なことを言うのさ?
一徹子  いまだ死を知らず!
京子   え?
一徹子  いずくんぞ生を知らん!
京子   え? え?
一徹子  死の極限にあって、初めて自分の生きる意味が見えて来るのです。死線を越えた向こうにこそ自らの生が開けるのです。死を知る者こそが、本当の生を知るのです。わかりますか?
京子   ???
明子   ‥‥わかりません。
一徹子  ‥‥なるほど。女々しく生きながらえることだけに汲々としているあなたたちは、生きることの意味など考えたことがないでしょうね。
京子   ???
明子   ‥‥‥。
一徹子  昭和四十五年、十一月二十五日、三島由起夫先生は市ヶ谷の自衛隊駐屯地でいみじくもおっしゃいました。
義のために共に戦って死ぬ奴はいないか。生命以上の価値の存在を知らしめる者はいないか、と。
そうして、自衛隊員の愚かな嘲笑と罵声の中で、先生はもののふとしての最期を遂げられたのです。
その無念はいかばかりだったでしょう?
この先生の思いがあなたたちにわかりますか?
京子   ???
明子   ‥‥わかりません。
一徹子  (静かに)‥‥このたわけが。
明子   わかりません。‥‥一徹子さん。わたしにはあなたのおっしゃることがわかりません。わかろうとも思いません。
「生命以上の価値」とおっしゃいますが、それは何なのですか? それは伝統ですか? 日本ですか? 天皇ですか?
そんな見えもしない亡霊、いや悪霊のために、これ以上尊い命をいくつ奪えば気がすむのですか? 何人の若者を殺せば終わるのですか?
日本人がみんな死んでしまった後に残る日本とはいったい何なのですか? 伝統とは何なのですか?
一徹子  純粋な魂が残るのです。精神は不滅なのです。‥‥それでは伺いますが、魂なき生命とは何なのですか? それは、植物人間の命ではないのですか?
明子   ‥‥一徹子さん。もうあなたと議論するつもりはありません。あなたとは話すだけ無駄です。
一徹子  ‥‥そこだけは意見が一致するようね。わかりました。もうやめにしましょう。
京子   おいおい、二人で勝手にわかり合わないでよ。あたしはなんにもわかんないよ!
一徹子・明子   あなたは黙ってて下さい!
京子   ‥‥もう!

      溶暗。
      明かりがつくと、一徹子が日の丸のはちまきをして
      立っている。

一徹子  われわれは待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。

      明子が立っている。

明子   ああ弟よ、君を泣く 君死にたまうことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと教えしや
人を殺して死ねよとて 二十四までを そだてしや

一徹子  日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

明子   君死にたまうことなかれ
すめらみことは、戦いにおおみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し  獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ もとよりいかでおぼされん

一徹子  これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

明子   暖簾のかげに伏して泣く あえかに若き新妻を
君忘るるや、思えるや
十月(とつき)も添わで 別れたる
少女(をとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき
ああ、弟よ、君死にたまうことなかれ

      暗転。

      オズマがうんこ座りをしてタバコを吸っている。
      耳にヘッドフォンをして音楽を聴いている。
      そばには「鬼ヶ島」のパネルが転がっている。

      電柱の脇から明子が現れる。

明子   飛雄馬‥‥。

      オズマ、気づかない。

明子   飛雄馬‥‥。

      オズマ、気づかない。

明子   飛雄馬

      オズマ、気づかない。
      明子、オズマのヘッドフォンをはずす。

オズマ  うわっ!

      オズマ、振り返る。

オズマ  ‥‥また、あんたか。
明子   飛雄馬

      明子、オズマのタバコを取り上げて、消す。

オズマ  何すんだよ!
明子   あなたこそ何をやってるの!
オズマ  ‥‥‥。
明子   飛雄馬、どうしたのよ!
オズマ  ‥‥‥。

      しばしの間。

オズマ  ‥‥ねえちゃん。
明子   ‥‥え? ‥‥飛雄馬、今、何て言ったの?
オズマ  ねえちゃん。
明子   ‥‥飛雄馬! やっとねえちゃんって呼んでくれたのね!
オズマ  ねえちゃん‥‥もう、いいかげんにしてくんないかなあ?
明子   え?
オズマ  あんた、マジでウゼーんだよ。
明子   え? え?
オズマ  もう、これ以上つきまとうのはやめてくれよ。
明子   え?

      オズマ、タバコに火をつける。

明子   ‥‥飛雄馬。‥‥な、何を言っているの?
オズマ  だから、オレの周りをチョロチョロするんじゃねぇー!つってんの。
明子   ‥‥飛雄馬
オズマ  ‥‥オレ‥‥決めたんだよ。
明子   ‥‥‥。
オズマ  ハンパな生き方はもうヤなんだよ。
明子   ‥‥‥。
オズマ  人にあれこれ言われて生きんのはやめたんだよ。
‥‥そうだよ。もう、オレは誰にも止められやしねぇ。オレはオレの決めたマイウェイを突っ走るんだ。どこまでもどこまでも。盗んだバイクで走り出すんだよ!

      音楽。「十五の夜」(尾崎豊

明子   ‥‥飛雄馬
オズマ  ねえちゃん。オレに近づくとヤケドをするぜ。オレの燃える炎が見えねぇのかい? 魂の雄叫びが聞こえねぇのかい?‥‥もう、オレは昨日までのオレじゃねぇんだよ。オレは、オレは、オレは、自分の道を走るのさ! 自分の決めたこの道を!

      オズマ、「鬼ヶ島」のパネルを裏返す。
      そこには「極道」の二文字。

オズマ  オレはオレの道をきわめるんだ!

      しばしの間。

明子   フフフフ‥‥‥。
オズマ  ?
明子   フフフフ‥‥‥。
オズマ  ‥‥な、何がおかしい!
明子   アハハハハ‥‥‥。
オズマ  笑うな!
明子   フフフ‥‥。粋がって何を言い出すのかと思ったら、やっぱり坊やはしょせん坊やなのね。
オズマ  う、うるせー! 何言ってやがんだ!
明子   そうね、まず、漢字のお勉強をすることね。
オズマ  な、何を!
明子   それは「ごくどう」です。「道をきわめる」とは読めません。「道をきわめる」はこれです。

      明子、パネルを取り出す。
      そこには「究道」の二文字。

オズマ  うっ‥‥。
明子   ‥‥それから、自分の決めた道を走るって言うけど、それはいったいどんな道なの?
オズマ  そ、それは‥‥これから考えるんだよ。
明子   フフ‥‥、そんなことだと思ったわ。さーて、自分の足で世の中を歩いたこともないあなたに、どんな道が決められるのかしら?
オズマ  う、うるせー! オレがオレらしく生きられる本当の道だ!
明子   あなたがあなたらしく? 星一徹子のロボットでしかなかったあなたに、どんなあなたらしさがあるって言うの?
オズマ  黙れ! 黙れ! 黙れ! オレはロボットなんかじゃねー!‥‥オレが歩いたら、そこにオレの道ができるんだ! オレが決めたら、それがオレの生き方なんだ!
明子   甘ったれるな! このあほうが!
オズマ  !
明子   あなたはどれだけ命がけで生きたと言うの? あなたは生きるためにどれだけあがいたと言うの? 生きたくて生きたくて、それでも生きられない命がこの世界にどれだけあると思うの?
オレの生き方? ‥‥フン、あなたなんかね、生きてなんかいないわ。ただ死んでないだけよ。そんなので生き方なんて言うのはおこがましいわよ!
オズマ  ‥‥‥。

      長い沈黙。
      やがて、オズマ、すすり泣き始める。

オズマ  ウッウッウッ‥‥‥。
明子   ‥‥‥。
オズマ  ウッウッ‥‥ね、ねえちゃん。
明子   !
オズマ  ねえちゃん‥‥明子ねえちゃん。
明子   ‥‥飛雄馬
オズマ  ‥‥明子ねえちゃん‥‥オレ、わからないんだよ。どうしたらいいか、わからないんだよ。
明子   ‥‥飛雄馬
オズマ  ‥‥母さんは武士らしく死ねと言うし、ねえちゃんは死ぬなって言うし‥‥でもね、オレ、母さんやねえちゃんが思ってるほど立派な人間でも、強い人間でもないんだよ。‥‥それでも、母さんやねえちゃんの前ではいい子でいたいから、自分らしく生きようと思ったんだよ? 自分らしく死のうと思ったんだよ? ‥‥でもさ、自分らしくなんてわかんないんだよ。オレ、自分が誰かさえわかんないんだよ。オズマなのか、飛雄馬なのか、それもわかんないんだよ。‥‥そんなオレに自分らしい生き方も、死に方もわかるわけないんだよ。
明子   ‥‥飛雄馬

      明子、飛雄馬を抱きしめる。

オズマ  ‥‥オレってダメなやつだよね。オレって弱虫だよね。
明子   ‥‥飛雄馬、それでいいのよ。無理しなくっていいのよ。‥‥ありのままの自分を受け入れなさい。‥‥ダメな自分を受け入れなさい。弱虫な自分を受け入れなさい。‥‥そうしたら、きっと自分が見えるから。
オズマ  ‥‥‥。
明子   ‥‥そうして、どうしても、どうしてもだめだったら‥‥その時は、私の胸で泣きなさい。
オズマ  ‥‥ねえちゃん。

      オズマ、明子に抱かれ、すすり泣く。

明子  ♪ねむれねむれ 母の胸に
ねむれねむれ 母の手に
こころよき 歌声に
むすばずや 楽しゆめ

ねむれねむれ 母の胸に
ねむれねむれ 母の手に
あたたかき その袖に
つつまれて ねむれよや

ねむれねむれ 母の胸に
一夜寝ねて 起きてみよ
かおりよき ゆきの花
におうぞや ゆりかごに

      暗転。

10

      オズマが立ち尽くしている。

オズマ  父上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました。

兄上様、おすし美味しゅうございました。

姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。

母上様、ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。

満君、宙太君、春彦君、譲次君、美奈ちゃん、みんな立派な人になってください。

父上様、母上様、僕はもうすっかり疲れ切って走れません。
なにとぞお許し下さい。
気が休まる事もなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

僕は父上様母上様のそばで暮しとうございました。

      オズマ、静かに膝をつき、シャツをはだける。
      切腹のしぐさ。

      一徹子が現れる。

一徹子  オズマ、それは何のマネだ?
オズマ  母さん。‥‥だからオレは母さんの言いつけを守って死ぬんです。
一徹子  このあほうが!(平手打ちのしぐさ)

      オズマ、倒れる。

オズマ  え?
一徹子  オズマ、まだわからんのか?
いつ、誰が、そんな言いつけをした? いつ、誰が、そんな虫けらのような死を選べと言った? 負け犬のように死ねと言った?
オズマ  ‥‥で、でも。
一徹子  デモもストライキもない! オズマ、男が言い訳をするものではないぞ!
オズマ  ‥‥‥。
一徹子  オズマ、死をなめるではないわ! 軽々しく死ぬるではないわ!
いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。
ろくに生きてもおらぬお前に死など百年早いわ!
‥‥死ぬるとはな、単に生きることをやめることではないぞ。生きることから逃げることではないぞ。
‥‥死ぬるとは、死を生きることだ。ひたすらに死を死に続けることだ。故に、死を死ぬることは、生を生きることよりはるかに難しい。‥‥少なくとも、今のお前に、まっとうに死ぬることなど到底できぬわ。
オズマよ、わかるか?
オズマ  わかりません!
一徹子  このあほうが!(平手打ちのしぐさ)

      オズマ、倒れる。
      一徹子、消える。
      明子が現れる。

明子   飛雄馬、何をしているの?
オズマ  ねえちゃん、もう何も言わないでくれ。
明子   飛雄馬、馬鹿なことは考えないで!
オズマ  ねえちゃん、オレ、しょせん馬鹿なんだよ。そのことにやっと気づいたんだよ。こんな馬鹿なオレが、何をやってもダメなんだよ。
明子   飛雄馬、生きていれば何とかなるわ。生きてさえいれば明日があるわ。希望があるわ。
オズマ  ねえちゃん、オレ、その明日を待つのにもう疲れたんだよ。‥‥明日の明日はまた明日。その明日は、また明日。結局、いつまで待っても明日は明日でしかないんだよ。明日なんてのは、永久に食べられない絵に描いたもちなんだよ。
明子   絵に描いたもちでもいいじゃない。食べられなくたっていいじゃない。食べてしまえばもうおしまいなのよ。食べよう、食べようって目標があるから人は生きられるのよ。
雄馬、あすなろの木って知ってる? あすなろはヒノキになりたかったのよ。だから、明日ヒノキになろう。明日ヒノキになろうってがんばるのよ。でも、あすなろはいつまでたってもあすなろのまま。永久にヒノキにはなれないの。そのことはたぶんあすなろも知っているのよね。‥‥でも、それでいいと思うの。ヒノキになろうという夢をあきらめた瞬間に、あすなろは、もうあすなろであり続けることさえできなくなるんだから。‥‥夢っていうのは、そのものには何の価値もないのよ。ただ、その夢を持ち続けることにこそ意味があるのよ。
夢を持ち続ける力、それが生きる力なのよ。
オズマ  ねえちゃん‥‥だから、オレ、力なんてないんだよ。初めっから夢なんてなかったんだよ。
‥‥だから、そうやってねえちゃんに期待されるのがつらいんだ。励まされるのがつらいんだ。
明子   ‥‥飛雄馬

      明子消える。
      京子、現れる。

京子   ひゅうま?。
オズマ  母ちゃん、もうほっといてくれよ。
京子   さあ、飛雄馬、母ちゃんと一緒に国に帰ろう。
オズマ  だから、ほっいてくれよ。
京子   飛雄馬。母ちゃんは、あのこわい人たちみたいに難しいことは言わないよ。母ちゃんには難しいことはわかんないからねぇ。‥‥飛雄馬、母ちゃんは、お前とお墓の父ちゃんと三人で一緒にいられたらいいんだよ。それだけでいいんだよ。それだけで幸せなんだよ。‥‥だからお前はただ帰ってくるだけでいいんだよ。なーんにもいらないんだよ。難しい理屈も、お金も、夢も、そんなものなーんにもいらないんだよ。偉くなくたっていいんだよ。立派じゃなくたっていいんだよ。ただ、お前がいてくれさえすりゃ、それだけでいいんだよ。
オズマ  ‥‥母ちゃん。
京子   さあ、こんなこわい所からは、もう帰ろう。そして国に帰って静かに暮らそうよ。もう、なーんにも悩まなくていいんだよ。疲れなくっていいんだよ。
オズマ  ‥‥母ちゃん。

      京子、消える。
      しばしの間。
      オズマ、空を見つめる。

オズマ  ‥‥オレは、夜の星を見つめるのが好きです。旅の途中で、ヒッチハイクの車にも振られてしまい、河原とかで野宿することがよくあります。そんな夜にはなかなか寝つけなくて、夜中にボーッと空を見ることがよくあります。
都会の空は汚れていて、満天の星空っていうわけではありませんが、それでも、月のない夜には、案外たくさんの星が見えるんです。
白い星、青い星、黄色い星、大きい星、小さい星、明るい星、今にも消えてしまいそうな星‥‥そんな星々が、それぞれにまたたいているのを見ると、心が落ち着いてくるんです。
誰にも知られず、それでも一瞬も休まずまたたき続ける星を見ていると、ちっぽけな自分や、そんなちっぽけな自分のちっぽけな悩みなんかが馬鹿らしく思えてきて、気づいたら一人で声をたてて笑っていたりなんかします。
そうして、視線を下げてみると、そこにもやっぱり小さな小さな無数の生活の明かりがまたたいています。あの小さな窓の向こうに、それぞれの暮らしがあり、人生があり、笑いがあり、悩みがあり、涙があるんだと思うと、何だか不思議な気がしてきます。
そんな時、オレはその無数の明かりのまえに手をかざし、クシャッと握りつぶしてみるんです。
この小さな手のひら一つで握りつぶしてしまえる人々の幸せ。そして不幸せ‥‥。
そんな時に、ふと思うんです。

‥‥オレ、何やってるんだろう?

      オズマ、さびしく笑う。

      一徹子、明子、京子が浮かび上がる。

一徹子  七生報国。死して護国の鬼となれ。
     などてすめろぎは人となりたまいし。
     などてすめろぎは人となりたまいし。
     などてすめろぎは人となりたまいし。
明子   想像してごらんなさい。
     天国などないのです。
     難しいことではないのです。
     足の下には地獄もなく、ただ頭の上に空があるだけ。
     想像してごらんなさい。
     みんなが今日のために生きているのです。
京子   ありふれた人生でいいんだよ。
     ありふれた幸せでいいんだよ。
     静かにつつましく、額に汗して働けば、
     やがて春が来て、おてんとさまもにっこりほほえむさ。
     さあ帰っておいで。
     さあ、一緒に国に帰ろう。

      オズマ、空に向かって静かに手をさしのべる。
      そして、静かにほほえみを浮かべて、握りしめる。

      クシャ。
      その瞬間に、女三人が消える。

オズマ  ‥‥オレ、何やってるんだろう?

      しばしの間。
      オズマ、立ち上がる。

オズマ  さ、行くか。

      オズマ、ゆっくりと歩き出す。
      ふと立ち止まり、振り返る。

オズマ  ‥‥さて、今度は、どの星に願いをかけようか?

      音楽「見上げてごらん夜の星を

      オズマに十字架の明かり。
      再び、静かに歩き出す。

      暗転。

                         おわり